重くて硬くて危険な灯篭やブロック塀を扱う技術系ボランティアではありましたが、こころの通うコミュニケーションもたくさんありました(^^!。2024年5月に灯籠撤去でお伺いさせて頂いた石川県羽咋郡志賀町のお母さんとのその後のやりとりを時系列で書かせて頂きたいと思います。
最近ではニュースも減り、各メディアも取り上げなくなりました。やっぱりね…と言う感じなのですが、マスコミが悪いのではありません。マスコミと言う物は国民のニーズに応える物なので、むしろ「被災地外の我々の関心が薄れ風化させてしまっている」と捉えるべきかと感じています。
私は今、ひとまず現地活動から戻り本業に集中している所なのですが、能登半島で被災された皆様の一日も早い復旧・復興を心から願いながら思いを向けて参ります。
<2024年7月11日(木)>
石川県羽咋郡志賀町で出会ったお母さんが石川県立音楽堂交流ホールで開催の「第9回 100人の声・命を読む」に参加され、朗読をされました。私も会場に行こうかと計画をしていたのですが、さすがに遠く…断念。代わりにこのお母さんの出演記念として段ボールで信州特産品と出演ご祝福のお手紙を送りました。
この母さんは既にご主人を看取ら、息子さん達は都内で立派にお仕事をされており、たった一人で志賀町特産の「ころ柿(干し柿)」を生産されています。私の母より5歳程度お若い世代。
この母さんとは活動期間中に4回お会いさせて頂きました。文学を愛し、幼児教育者として働かれていましたが、ずっと夢だった「図書館司書」になりたくて50歳から勉強し直して55歳から司書になられた方。現在は文学系サークルで同人誌を発行されるなど本当に素晴らしい方です。「第9回 100人の声・命を読む」では私の事も朗読頂きました…(涙)。※この原稿記事はこちらです
何歳になろうが、災害で家が損壊しようが、そんな事よりも「この土地はね!本当に素敵なんですよ!私はココが大好きなんですよ!」と話しかけて下さるこのお母さんと話をしていると、ただ頭が下がる思いがします。活動二日目に母さんが作った「ころ柿」を頂きました。この母さんの人生を垣間見ながら頂いた志賀町特産品の「ころ柿」…。活動でぐでんぐでんに疲れていた私を一瞬で元気にしてくれました。
<翌日>
夕方、志賀町のお母さんから電話を頂きました!とってもお喜び頂けて嬉しかったのですが、電話で昨日の朗読をご披露くださったのです!!いゃあ…もう嬉しくて。
今日は志賀町特産「ころ柿(干柿)」の摘花作業をされたとの事。本当に働き者です。
初めて被災家屋にお邪魔した時も家にいらっしゃらず、近所の方に「あ!〇〇さんならたぶんあそこの畑にいるよ!」と教えてもらい、大きな畑に向かって大声で名前を呼びました所、畑のから「は~い!」と出てきてくださいました(笑)。被災し住まいもガタガタですが「畑や自然は待ってくれませんからね!土に触れていると安心しますし」と笑顔で迎えてくださった事を思い出します。
今日の電話でも「お庭を安全にしてくれた(倒壊物撤去)ので、毎日とても嬉しい気持で木や花のお手入れを楽しんでいます」と話してくれました。
<2024年7月25日(木)>
石川県羽咋郡志賀町で出会ったお母さんから素晴らしい手作り野菜とジャムが届きました!!これ、ぜ~んぶ母さんが一人で作られた物。志賀町はスイカも名産地で高級品です。
被災後一人で黙々と家を片付け畑作業に取り組まれていました。その畑で育った野菜です。5月に初めてお会いしたのも畑でした。
母さんの暮らされる場所は、まだまだ道路もガタガタですし数メートル隣の崖も崩れ、半数以上の世帯が移転された集落になります。でも、たった一人で農作業をされ、文学を愛し、被災からの復興に日々挑まれています。
そのお野菜…。早速スイカを頂きました。美味しい…。
道路も崖も畑も、地震でワチャワチャになってしまったのに、本当に甘くて美味しい。こころが揺さぶられる美味しさです。母さんありがとう。