第三次災害支援活動を終え、私は既に長野県の秘密基地?で貯め込んだ仕事に追われていますが、この活動の中で書ききれていない事もたくさんあり、それを忘れないように書き残しておきたい…と言う思いに駆られ、日報ページに向き合っています。すみませんね~長文ですが宜しければお付き合いください。
▼ 主な登場人物

▲ 魚谷(兄)さん

▲ 魚谷(弟)さん

▲ 中坪さん
11月29日(金)。この日、氷見市久目地区交流館で我々メンバーの活動慰労鍋会を行うべく、皆が会場に向かっていました。久目地区交流館は、1月から10日以上「ダンプ車内泊」をしていた私を見兼ねた氷見市社協の澤田先生が「旧小学校を交流館にしている施設があるんですが、そこに泊まりませんか?」と久目地区社協の会長である上野さんを紹介してくれた場所です。私のこの日報にもたくさん登場しています。それ以降、第二次支援活動~第三次支援活動でも、ベース拠点として快く提供くださっています。
各々活動を終えた仲間が集まる時間、「何を持って行こうか?何を呑みますか?」等の慰労会情報が行き交うグループラインの中に、石川県穴水町で活動中の魚谷兄弟から緊急連絡がありました。
「美容室で使う油圧式の大きな椅子・洗髪台を久目交流館に一時保管してもらえないか?」との事でした。

公費解体を控えた建物からは、家財などを搬出しなければなりません。どうせ壊すなら中に荷物があっても良いんじゃないの?と思う所もありますが、解体業のプロから考えたらそれはNG。基本的に、家財は別に処分或いは倉庫などに移設してから建物解体になります。ただ、仮設住宅はそんなに大きくありませんから大半の荷物は処分する事になります。公費解体が既に始まっている地域では、この家財搬出ボランティアの人手不足が問題になっています。「引っ越し屋に頼めばいいじゃん」と思う方もいるかも知れませんが、その費用は出ません。ただでさえ甚大な損害を被っている被災者様の負担を軽減すべく、魚谷兄弟や中坪さんは連日のように家財搬出に取り組んでいます。
この日(11月29日)も魚谷兄弟は穴水町で同活動。そこには以前から何度もボランティアに来られているまだお若い女性がいました。当初は「社協の職員さんなのかな?」と思った位、毎回行くたびに活動をされている方だったそうです。今日、その方の荷物搬出を行う事となり、そこで初めて「え!?職員さんじゃなかったのか!美容師さんなの??」と解ったそうです。ご自身が被災され、仕事を失っている状態なのですが、それでも「自分や自分のお店を支えてくれたこの町(穴水町)の役に立ちたい…」との思いで、彼女は毎日毎日ボランティアセンターに通い、多くの町民の為に尽力されていました。
数百万で購入した油圧式の理美容椅子…そして洗髪洗面台。恐らく20代で開業さたのでしょう。「まだまだ資本回収だってままならない状態なのでは?」と直感できる程、新しい機材でした。「これ…本当に捨てるんですか?」魚谷兄弟は何度も確認する。その度に「はい」と頷く美容師さん。とても廃棄物とは思えない魚谷兄弟は、丁寧に軽トラックに積み込んだ。
いよいよ処分場まで向かうと言う時、どう考えても美容師さんの考えが揺らいでいる事を察していた魚谷兄弟はもう一度訪ねました…「これ…今捨てなきゃダメですかね?きっと物凄く頑張って買われた物ですよね?」。しかし「もうお店を再建できるかわからないですし…」と切なく答える美容師さん。
椅子を載せた魚谷兄弟の軽トラが処分場に着こうとしていた。魚谷(兄)さんは葛藤していた。「このまま捨てるのは簡単な事...。それでいいのか?」。助手席の魚谷(弟)さんが兄に投げかける…「今捨てないで保管して置く事が出来たとしたらどう?考える時間が出来るとしたら美容師さんも少しは楽になるんじゃないか?」。
「だったら今すぐに保管できる場所を探さなければならない…」
魚谷(兄)さんは「今日これから慰労会で向かう久目交流館なら大きな建物だし、どこか置かせてもらえないだろうか?」と機転を利かせ、氷見市社協の山田先生と久目地区社協の上野先生に確認。4分後「このくらいの量なら、久目地区交流館の雑倉庫に置いておけます」と返信が来た。
保管場所は確保できそうです…でも先ほど積み込んだ軽トラックは穴水町で活動をするトラックなので、それを使って氷見市まで来るわけには行きません。穴水町と氷見市はおおよそ1時間半程度離れています。天気は大雨…。そんな中、魚谷(兄)は自前の軽トラで災害支援活動を行っている中坪さんに「事情は後で説明しますので、写真の物を軽トラに載せて久目交流館まで運んでいただくこと可能ですか?」と送信。例えどんなに遠回りであろうが「はいはい!すぐ行きます!」と答える中坪さん。
(※中坪さんは我々の今回の実働メンバーの中では最年長ではありますが、いつも慈愛の精神と優しい物腰…さらにお茶目?な愛嬌を兼ね備えたエンジニア&ドライバーです。)

処分場の手前でとどまってた椅子はもう少しでただのゴミと化す所でした。しかし様々な〝つながり〟や〝思い〟により、間一髪、椅子はまだ椅子としての役割を保つ事になりました。椅子を介在に魚谷兄弟はそれ以上に大切な何かを感じていた事でしょう…。以下、簡単にですが魚谷兄弟について書かせて頂きます。
<魚谷兄弟について>
魚谷兄弟も決して順風満帆なだけの人生を送って来たわけではないそうです。社会の世知辛さを嫌という程体験して来た経験を持っている。この兄弟自身も何年間も会話をしていなかったそうです。1月1日発災直後、海辺に近い魚谷さんの家は津波警報で避難指示が出ました。その時、自動車も守ろうと迷う弟に兄は「早くこっちに乗れ!」と叫んだ。弟は「車も助けんなんやろ!」と答えたが、すぐに「はぐれたらどうする!お前の命の方が大事や!」と呼び止めたとの事。幸い家が流れる津波は来ませんでしたが、発災以降毎日のようにボランティアに行く兄を見た弟は「俺でも役に立つか?」と呟き、いつの間にか最強のチームが結成された。それが魚谷兄弟です。
こうして魚谷兄弟と中坪さんは数百キロある椅子と洗髪洗面台を豪雨の中で積み替え、無事に久目地区交流館に戻って来られました。
久目地区交流館の2Fに運び込みます。私も一緒に持ち上げましたが、途方もなく重い。しかも油圧機械部分が動くので指を挟めば一瞬で切断する危険もある代物です。こんな重たい物を豪雨の中で丁寧に運び出し、依頼者様の真意を何度も聴き、90分以上の悪路を駆け抜けて送り届けた三人…。美容師さんにとって掛け替えのない機材。いや…機材と言うより「相棒」と呼ぶべきものだと感じる。それは最強の相棒である魚谷兄弟にとって強く感じられた事だと思います…。
今も久目地区交流館の2Fで大切に保管されています。
美容師さんにとって、一番望む結論をゆっくりと考えて頂ける事と思います。

久目地区地域づくり協議会の河原会長に「いっそココに設置して久目地区で美容院誕生!なんて言うのもありじゃないですか?」と話してみましたら「おおお!良いですね~!夢が広がりますね~!美容師さんさえ良かったら是非歓迎ですよ~!」と仰られていました。久目地区には床屋がありません。だけど「何もないから何でも出来る…」それを感じられる素晴らしい地区なのです。そんな素晴らしい地区に大切に保管されたこの椅子と洗髪洗面台…。被災された美容師さんも少し安心された事でしょう。
被災地では決断を迫られる事が多いです。でも被災者様が将来を考えて決断しなければならない事には相応の時間が必要になります。ハード面の作業を行いつつも、人として歩み寄り、この美容師さんの〝大切な想い〟を守るために奔走した仲間を心から尊敬します。





