クラブレース

私の師匠「風来坊」さんは、二色の浜ヨットクラブに属している。
此処のクラブは、月に1回、第2日曜日にクラブレースをやっている。
出場艇は、42ftのクルーザー、全日本に出る現役レーサーから、Y23、漁船と呼ばれるヨットまで様々である。
この年にして新米ヨットマンに成った私は、技術と、経験の無さを補うべく、風来坊師匠に出会った時からクルーとして参加している。参加艇は15~20艇位。

最初は、風来坊艇オンリーだったのが、最近は、クルーの足りない艇に貸し出される様に成った。
少しは上達したのだろうか?気候も良く成ったあるレースの日、天気も良いので、私は彼女を連れて二色へ向かった。

ハーバーに着くと、既に参加艇は降ろされ桟橋に舫われている。風来坊艇を見つけると顔見知りに成ったオーナーやクルーに挨拶しながら艇に向かう。
師匠は、居なかったが〝勝手知ったる師匠の艇〟なので、勝手に上り込み、セイルカバーを外して出航準備を始める。
これもクルーの務めである。ヨットに載せて貰うと言うのは「お客さん」では無く「クルー」で有る。其処へ風来坊師匠が帰って来る。

風来坊Ⅲ(※このハーバーには風来坊と言う艇が3艇有る。その三番目と言う意味で有る)にお孫さん(高校生)が二人来るのだが「相棒のヒロさんが来れなく成ったので応援に行って欲しい」と…。
まあ最近は何時もの事なので快く引き受ける。初めての艇でもないし。

風来坊Ⅲは、赤いハルのマークⅡである。
オーナーが酒好きなので、艇も酔っぱらって艇も赤いと言われている。
風来坊Ⅲに着くと、既にオーナーと二人のお孫さんは来ていた。「よおっ」と手を上げ迎えられ艇に乗り込む。
オーナーは、艇長会議に行くと言うので、二人のお孫さんとお話しをする。ヨットは、初めてで、兄弟では無く従兄弟だと言う。

羨ましい。私にもこんな日が来るのだろうか?オーナーの河原さんが、艇長会議から帰って来る。

コースは、いつもの「三角・ソーセージ・三角」
各艇、競う様に舫いを外して出航していく。風来坊Ⅲもそれに続く。ハーバーを出てレース海面へ向かう。風は、微風、向かい風、そのままメインを上げる。
レース海面には既に、スタートブイと、マークブイが打たれていて、本部艇もアンカーを入れている。各艇、思い思いの方向へ帆走し本日の調子を見ている。

10分前の合図が鳴る。エンジンを切り完全帆走に移る。
5分前、1分のカウントダウンが始まる。
1分前、緊張が高まる。各艇、メインシートを緩め
帆走速度ぎりぎりで、タックを繰り返しベストポジションを狙う。
タイムキーパーが10秒刻みのカウントダウンを始める。
5秒刻みのカウントに移る。スキッパーの腕の見せ所!
クルーはシートを掴みウインチに取り付く。
10秒前、バウマンが大声で距離を怒鳴る。
1秒のカウントが始まる。
既にシートを引き始めた艇が居る。

ぴーーーーーーー!!

スキッパーがスタートラインに舵を取る。
同時にクルーの腕はフル回転でシートを絞る。
何処かで「スタボー」と怒鳴る声がする。
我が艇は、他艇の邪魔に成らない様に最後尾からスタートを切る。クルーが新人だからでは無い。
遅いからで有る。
当然、縺れるスタートダッシュには参加しない。(出来ない)

オーナーの河原さんは、大の釣り好きで有る。
レースの無い土日は、殆ど釣りに出ている。
たまにオーニングから手作りの乾物がぶら下がって居るのを見ることが有る。メインにバテンも入って居ない。
当然、帆走にそんなに熱心ではないが、レースの出場率は一二を争う。
マークを回る度に当然の様に前艇との差が開いて行く。
最初の三角が終わりソーセージに入る頃、同じコース上に他艇は、居なくなる。
最後の三角に入り最終コースに入る頃、全コースから他艇が居なくなる。
他艇は、全てゴールインし昼食を取りに波を蹴立ててクラブハウスへ直行している。
こうなると、我が艇は、時間との闘いに成ってくる。敵は、タイムリミットである。
しかし、無常にも風が落ちてきた。しまいには、セイルがシバーし始める。

何を思ったのか、オーナーが私に「ティラーを持ってくれ」と、言う。「はい」と怪訝ながらティラーを握る。
オーナーは、キャビンに入り、1Lの赤い紙パックを片手に持ちバースに座り込む。紙パックに(鬼殺し)と書いてある。

諦めた様だ。

ティラーを任された私はどうすれば良いのだろう。
従兄弟二人が、私の方を見て「どうしますか」と目で訴えて来る。
よしっ、取敢えず出来るところまでやろう。腹を括る。
初めてのヨットを形はどうあれ楽しく終わらせて上げたい。。
従兄弟二人をジブのウインチに着け、少しの風も逃さない様にセイルを見ながら細かく指示を出す。
この状況では、スピードは欲しいが、マークの風下には落としたく無い。
マークブイは、じわじわと近づいて来るが、時間も刻々と過ぎてゆく。

此処で秘密兵器を出す。
舫いを引っ掛けるフックである。長さは、1,5m
此れをジブのリーチに引っ掛けジブを押し出す。
シバーのロスを防ぎ少しの微風も即、推進力に変える為である。直ぐ外れるので、風上側のウインチに着いていた一人が絶えずこれを支える。
スピンポールが有ればいいのだが、スピンの無い艇にそんな物は期待できない。

少しでも風の前兆が無いか、辺りを見回してさざ波を探す。
期待も虚しく風のないままマークが近づいて来る。
逸る心を抑え大回りで最後のマークを回る。
風の無い今流されてブイにタッチしたら終わりである。(大阪湾は、干満の関係で絶えずどちらかに流れている)
最後のマークを躱すとゴールは、目の前に成った。が、まだ気は許せない。最後のタックが残っている。
残り時間が解らない今、余計な時間は取りたくない。おまけに風が無い。タックは1回で決めたい。
その上失敗は出来ない。行足を失ったら立ち往生だ。

緊張が彼らにも移る。

ゴールブイが真横に来る。まだ早い。此処が我慢の為所。
此処で焦ってマークを回れなかった艇を何度も見ている。
マークがじりじりと過ぎていく。
私の心もじりじりと焦っている。
過ぎる時間と掛かる時間時間とのジレンマである。
従兄弟二人が此方を見ている。タックの合図を待っている。
ゴールブイがスターンの真横に来た「タック!」

舵を思いっきり引く。

バウがじりじりと少しずつ回っているが、ジブはまだ風をはらんでいる。
ジブにシバーの前兆が、「離せー」「ひけー」決まった。
新人二人にしては、上出来である。
コースは、ばっちり。もう何もする事が無い。
じりじりとゴールラインが迫って来る。
従兄弟二人、私と彼女、全員が固唾を飲んで本部艇を見詰める。
時間内ならゴールの ピー が鳴る。
ゴールラインを過ぎようとしている。
まだか、まだか、と全員本部船を見詰める。

ピーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ヤッター!ゴールした。間に合った。
ばんざ~い、ばんざ~い!思わずみんなで万歳を繰り返す。
優勝した様な騒ぎである。
オーナーが何事かと、キャビンから赤い顔を出す。
「ゴールしましたよ。」と伝える。
早々にエンジンを掛け、セイルを下してクラブハウスに向かう。クラブハウスで風呂に入り、一息ついた所で今日の表彰式に向かう。
風来坊Ⅲはとんでもなく遅いせいでレーティングのマジックにより、ゴールさえ出来れば良い所に行ける。
呼ばれた順番にオーナーとクルーが出て行き表彰状を貰って、オーナーはその日の苦労と武勇伝を語る。(3位まではトロフィーが付く)クルーは、オーナーの武勇伝に水を差す。
結果は、7位で有った。オーナーに誘われたが、ただの助っ人なので有り難く辞退する。
オーナーは、孫二人を従え無風に近い中、いかに戦ったかを語る。赤い顔をして。
その間に私たちは、表彰式の料理を頂く。

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