もうかれこれ15年位前の話だが 思い出しながらぼちぼち書いてみる。
4月某日 初めてのヨットを手に入れてから半年が過ぎた。
風来坊さんと言う師匠に、巡り合い、風来坊師匠の属する二色の浜ヨットクラブでクルーとして倶楽部レースに参加してセーリングの腕も磨いた。気候も良く成ってきたのでそろそろ何処かに出かけたい。
5月のGWにクルージングを企てる。
先輩たちの話に出てくる 小豆島・草壁桟橋 どうもGWのヨットのたまり場らしい。
色んなヨットが色んな所から来るらしい。新米ヨットマンとしては、行かねば成らない。
日程を決め 息子二人を誘う。好奇心満々で二つ返事でOK
混合にしたガソリンとレトルト食品とパックライス、カップ麺を車に満載し出発を待つだけに成った。
ルートは、湯浅広港を出て鳴門を越え小豆島へ。
鳴門は、回航の時一度越えているので問題は無い。
念の為PCで潮を調べる。
潮止まりは~と、朝7時20分。
やばい朝出てたら間に合わない。
ただでさえGPSが無いから艇速が解らないのに。
よしっ、前日に沼島まで行こう。
1日目 晴れ
いよいよ当日、子供達が学校を終わるのを待って3人と1匹は車で広港に向かった。
夕暮れ迫る広港でそそくさと燃料・食料・ワンコを積み込む。
沼島も回航の時入港しているのでたどり着けさえすれば港内は判っているので何とかなる。
友水の南側を通過するころ日が暮れる。
沼島の山頂に光る灯台を目安に南側から回り込む。
南側には定置網があるので北側から入った方が安全なのだが 時間短縮の為南よりのコースで回り込む。
赤灯と青灯を抜け右側へ入って行く。確か港内の真ん中に生簀が有ったはず。
ここは、岸壁が高いのでもう一つ奥へ行く。正面の前に着けた場所が空いているので其処に着ける。
取敢えず、初日は、景色こそ見えなかったが、静かないい航海だった。
ワンコの散歩がてら上陸する。夜が早いらしい。全部閉まっている。暗い中を艇に帰り明日に備えて寝る。
2日目 晴れ
6時前起床 晴天 絶好の航海日和
子供達がワンコ(マロン雌 雑種 毛足の長い小型犬可愛い)の散歩に行っている間にカップ麺の湯を沸かす。
どん兵衛で朝食を済まし早々に出港、鳴門を目指す。
此処からは、鳴門は目と鼻の先 潮崎を廻れば目の前に鳴門海峡大橋が見えてくる。
沖で潮止まりを待っていた本船もそろそろ動き出す。
近付くにつれ場所によってはまだ潮の流れが見える。
海底の地形のせいだと思う。魚探があれば解るのだろうけどCooにはそんな上等な装備は無い。
航行に影響する深さでは無いので気にしない。
7時20分 ドンピシャで鳴門海峡大橋をくぐる。
回航の時と違い 潮止まりは、静かだ。
前方からヨットが一隻、海上で初めて出会うヨットだ。
30ft位 グリーンのハルに白いドグハウス。バウに「海のオーケストラ」と書いてある。
ジブが2枚ある カッターだ。スターンに人影が見えたので、大きく手を振る。
気付いた向こう側からも手を振りかえしてくれる。嬉しい。
何時かあれ位の艇がほしいな~と思いながら見送る。
海峡を過ぎて少しした頃 後ろから追いついてくるヨットに気付く。
どんどん近づいて来る。セイルを上げているせいか向こうの方が早い。26ft前後 追い抜かれながらやはり手を振る。
向こうも手を振ってくれる。
負けじと此方もセイルを上げる。二色で鍛えたのでセイルアップもスムーズになった。
しかし どんどん離れて行く。艇速の差はセイルだけでは無いらしい。
1時過ぎの方向へどんどん遠ざかって行く。
「何処へ行くのだろう」と思いながら、此方は小豆島と思われる方向へ直進する。
左手に香川県を見ながら昼近くまで北上する。右前方に微かに島影が見えてくる。
うっすらだった島影が はっきり大きく見えてくる。
どうもあれが小豆島らしい。この海域と方向で他に島は無い。
ちょっと方向が違ったみたい。
朝、追い越して行ったヨットの方向が小豆島だった様だ。
まだ昼前なので気を取り直して小豆島方向へ舵を取る。
気を取り直すほど気落ちはしていないが・・・
今度は目視なので間違い様が無い。
海図とコンパスで照らし合わすと方向は、ほゞ真北。
大きく張り出した半島の右側、さらに右に曲がって湾の最奥が草壁桟橋だ。
近付くに連れて海図でみるのと実際に見るのとでは結構違うことに気付く。
海図で想像しているのと実際見るのは少し角度が違うだけで全然違う地形に見える。
半島なんかが重なってると余計にややこしい。
湾入り口の浮標を躱し湾奥へ進路を取る。
右手に 「24の瞳」の「岬の分教場」らしき建物が見える。
桟橋まで行くと足が無いので近くに着けないか近づいてみる。
「分教場」のすぐ左手に小さな船溜まりが見える。
さらに近づくと小舟が5,6艇舫ってある。
25mプールより一回り小さい堤防の端が空いていて舫いがないので其処に舫う。
舫ってからよく見ると海底が見えている。
水深1mちょっと位、喫水84㎝のインペリアルだから出来る事、いい艇だ。
沖を見るとヨットが奥に向かっている。桟橋に行くようだ。
此方は取敢えず分教場見学にワンコと共に上陸、土産物屋さんや食堂があるので、取り合えず昼飯を物色する。
小豆島と言えば素麺 迷っても仕方ないので適当に入る。
うん、普通に美味しい素麺だった。
子供二人とワンコを連れて分教場に入る。
古い木造で 私にとっては自分の小学校を平屋にして小さくしたような佇まい。
教室内部、後ろのボードに書き取りやクレヨンの絵が貼ってあり 木製の机・椅子は、同じと言っていいほど似ている。懐かしい。
スチールの机と椅子で学んだ子供たちにとっては、記録映像の世界。
「岬の分教場」を堪能し 再びヨットで桟橋を目指す。
此のヨットは、ツインキールでビーチングが出来る為、舵が短い。
その上落とし込みの船外機のペラが当たらない様に舵の上部が削られていて舵の効きが悪い、がスターンに付け直した船外機で舵が取れる為非常に小回りが利く。
小さい港もすいすい出られる。
奥の方へ進んで行くと 10本位のマストが見える。
近付いて見ると桟橋の片側に3列、3重ほどヨットが重なって舫われている。
何処に舫おうか迷っていると、一番外側のヨットが手招きして呼んでくれたので、いそいそと向かう。
舫いを取って貰い横抱きしてもらう。
桟橋側の「桟橋食堂」へ係留の手続きに行くように教えて貰う。この時「風来坊さんの弟子のCooと名乗る」
桟橋食堂へ行き「今着きました~」と手続きを済ます。
200円 安っ。桟橋に戻り改めて舫われているヨットを羨ましく眺める。殆どが30ftクラス 大きくて綺麗だ。
そして同じ艇が無いことに驚く。沢山の艇種に感心する 抱いて貰った艇は26ft(後で聞いた)船外機の艇は、我が艇だけ。
重なったヨットの上を伝って我が艇に戻る。
隣の艇は 淡輪から来た「ルカ―」さん。
淡輪の脇さんに連絡を取って私の事を聞いたらしい。
因みに 淡輪の脇さんと二色の風来坊さんは、友達らしく、後、泉大津の上田さんの三人が大阪湾東岸の主らしい。
素性が知れたの親しくなって色々情報をもらう。
艇の中も見せて貰う。3ftしか違わないのにかなり広い。立って歩ける。次の艇は最低立って歩けるサイズがいい。
貰った情報では、オリーブ園のホテルでお風呂がもらえるらしい。早速 風呂の用意をしてバスでお風呂に向かう。
オリーブ園の下でバスを降り歩いてホテルへ。観光ホテルなのでお風呂は、広く綺麗で眺望抜群。
潮を流してさっぱり気持ちよく帰りのバスに乗る。
桟橋に帰ると時間も手ごろなので夕食にする。
目の前が食堂なので迷わず入る。中は、ヨット乗りで満杯状態。暫く待って3人で座る。いわゆる飯屋。
鯖の刺身が有ったので迷わず取る。その他各自適当におかずを取ってご飯とみそ汁を頼む。
鯖の刺身は美味しかった。子供たちは初めてだった。鯖は、足が速いのでめちゃ新鮮でないとお刺身では食べられない。めっけもんだった。
夕食を食べると何もすることが無い。テレビも何もない。寝る。
3日目 曇り
朝、6時頃起床 なんか騒がしい。
外に出て見るとルカ―さんが 出航準備をしている。
どうも明日大きな低気圧が来るらしい。
今日中に長躯 淡輪まで帰ろうとしている。
ルカーさんは、朝食も艇の上で食べて今日中に帰る算段の様だ。私たちが居るとルカーさんが出れないので取敢えず舫いを解いてルカーさんに出て貰う。
残った艇から「再係留しますか」と聞かれたが、丁重にお断りしてルカーさんの後を出航する。
取敢えず、昨日留めた船溜まりの近くの岸壁に舫ってのんきにカップ麺の朝食を取る。
朝食を取り再出港 湾を出て左手に梶を取る。
淡路島方向。ルカーさんは遥か彼方。
追いかけるが、波のせいで艇速が上がらない。
増々遠ざかる。とうとう見えなくなる。
此処は播磨灘、遥か左手に微かに霞むのは家島諸島本船航路に沿って明石海峡を目指す。
本船航路を示す浮標が点在するのでGPSが無くても大丈夫。其れで無くても本船が引っ切り無しに行き来するので迷いようがない。
前から、後ろから近づき遠ざかる多様な船はいくら見ていても飽きない。
本船を眺めていたせいでは無いがかなり遅くなった。
明石海峡に着くころは3時を回っていた。
後先考えずそのまま海峡に突入、橋が真上に来る。
GWなので少し車が多そうだ。此方は渋滞も無いが、艇速が遅いのでのんびり進む。
子供達と話が弾んで ふと 気が付くと 景色が変わっていない。時計を見ると1時間位立っている。
1時間前 真横に有った建物が其処に有る。
ヤバイ逆潮だ、艇速と潮の流れが同調している。
このままでは前に進まない。資料がないので何時潮目かも解らない。停まっていても仕方ないので流れの弱い所を探す。
トライを繰り返すこと1時間余り やっと北の端で徐々に進み始める。海峡を抜ける頃には6時前に成っていた。
此処からは未知の世界 早く明るい内に泊地を見つけなければ成らない。岸に沿って東進する。
夕闇迫る中 赤灯の点いた一文字が見えてきた。中に入ってみると 出来立てのボートパークの様だ。
Y字型の浮桟橋が百以上並ぶ中 舫われている艇は数隻。取敢えず舫いの無い 空いている所に舫う。
ゲートの向こう側がかなり明るい。ショッピングタウンの様だ。ゲートは、オートロック。出れるが、入れない。
扉が閉まらない様に細工して外に出る。パネルに管理者のTEL番号が書いてある。公の管理の様だ。
緊急避難を告げにTELするが出ない。義務は果たしたので 良し としよう。
停泊場所が見つかり一安心。義務も果たして気分も落ち着いたので ショッピングセンターへ腹ごしらえに向かう。
久しぶりのまともな食事を取ろうと子供たちに聞いて見ると こいつ等の選んだ店は、マクドだった。
「こいつら何考えてんだ、」と内心思いながら着いて来てくれたので文句も言えずマクドに入る。
お腹が一杯になると考えるのはお風呂。早々に艇に帰り 用意をして銭湯を探す。
人に聞きながらたどり着いた銭湯で潮を流し寛いだ所で 明日に備えて 寝る。
4日目 嵐 疾風怒涛・強風波浪警報の大阪湾横断
朝 6時 起きると 風が強い 南風 港の中なので波は解らない。
そそくさと朝食を済ませ、出航する。
一文字を躱したとたん 南からの大波が襲いかかる。
回航の時よりキツイかも知れない。
実は、コックピットの入口の板をニス塗中で、有り合わせの板を張り合わせて使っていたのだが、前日、下の息子が踏み抜いて壊してしまった。
したがって 上の板が無くブルーシートを被せてある。なるべく波は被りたくない。水船に成ってしまう。
次第に波が高く成ってくる。回航の時どころでは無い。
波の谷に居ると波の天辺はマスト位高くなった。
確か マストは、7m。ハルを入れると8m
本船とすれ違うが、バウ下の丸い出っ張りが7,8m位波から突き出て それが どっしーんと、飛沫と轟音を立てて落ちる。
パーフェクトストームの世界だ。
とても南進どころでは無くなって来た。波の谷間を縫うように南東に舵を取る。
それでも波にすくわれ波の斜面を横滑りしながら進んでいく。バウの浮力が効いている様だ。
この艇は、バウから1m位で艇の全幅近い幅が有る。大航海時代の帆船に似た船型をしている。
機走時バウが浮いてしまうので水タンク等の重量物をバウにのせて浮き上がりを抑えて水線長を稼いでいる。
そのバウの浮力が今、効いている。
波に突っ込まず バウが浮き上がり波の斜面を登る。
左に舵を取って頭を振り、そのままだと直滑降なので左に傾きながらちょっと当て舵をすると斜面を横滑りしながら前に進んで行く。
波濤を越えられる機走力が無いだけの話なのだが、コツが解るとちょっと余裕も出てきた。
左前方 10時の方向に海上保安庁の大きい巡視船が波に揺さぶられながら進んでいる。
こうなると波と波長の合わない大型船は、大変だな~と見ていると反転して伴走してくる。
近くで見ると揺れ方が半端ない。
何かに掴まっていないととても立って居られそうに無い。
はっ と気が付く きっと さっきの本船がちくったんだ。
「ヨットが遭難している」と、
大丈夫、と手を振ろうとして はた と思い出した。
堀江さんの太平洋一人ぼっちで「飛行機に出会った時手を振ると遭難に見られる」と堀江さんはカメラを出して写真を取って余裕の有る所を見せた。
そこで写真を取ろうとしたがカメラはコックピットの中…オーパイの無いCooは舵から手が離せない。
子供たちは船酔いでくたばっている。仕方ないので舵を握ったまま上半身を曲げ余裕のある風情で巡視船を見る。
10分位伴走していただろうか、やがて陸の方へ舵をとり遠ざかって行った。
この時改めて実感した。「ヨットって凄いんだ」堀江さん 貴方の教訓は、今もちゃんと生きてますよ。
巡視船を見送り 大波にも慣れて来た。順調に大波の斜面を滑り落ちながらそれでも進んで行く。
余裕が出てきたので歌を歌う。
まずは、ウルトラマンメドレー 「むね~につけ~てる」音痴だが誰も聞いていないと解ると大声で歌える。
ウルトラマンが終わると、エイトマン・鉄腕アトム・鉄人28号 次々に出てくる。
バビル2世これは、昔居酒屋のチェーン店で厨房のアルバイトをしていた頃、満員で厨房がパニクッて来ると何時もサブリーダーが歌だす。
すると厨房が大合唱になる。
不思議にこの歌を大合唱しだすと、オーダーをとちる事も無くスムーズに掃けていく。
歌のテンポで自然と手の動きが早く成る様だ。
今、あの時の仲間は如何して居るだろうと思い出す。
一通り歌うと又 ウルトラマンに戻る。気が付くと風と波が収まって来ている。
見るのを忘れていた時計を見ると10時近い。すでに3時間位航行している。
楽しいと時間の立つのが早い。
左前方にうっすらと高い建物が見える。
ゲートタワーホテルだろうか、それなら根本の少し北が二色の浜だ。近づくにつれ風と波がほとんど無くなってしょぼふる雨だけに成ってきた。
何だか頭の形が違う。上に行くほど細く成っていない。WTCだ、ほぼ真横にしか移動していない。
南東に進んだ心算が 艇が横滑りした分南に進んで居ない。大阪湾の最奥に来てしまった。
友水の真北から遠く外れてしまったので風浦に入ったのかもしれない。
なにわともあれ風と波が無くなったので岸沿いに南下する。
此処は、超超巨大な工業地帯で巨大な堤防と一文字が混在する迷路の様な所。
一文字だと思って真っ直ぐな岸壁を進んで行くと堤防だったりする。又長い工程を戻らなければならない。
2回ほど繰り返して岸沿いに進むのは諦めた。岸から距離を取り 南西の方向へ進む。前方の海上に何か見えてくる。
停泊している本船かな と思ったが違うようだ。関空の電波灯台だ、二色のロングレースで来たことがある。
と、言うことは二色は、近い。
元気が湧いて来る。
此処からは 未知の世界では無い。
今度は間違いなくリンクウのゲートタワーホテルが見えてくる。続いて関空の管制塔が、二色は、もう直ぐ其処だ。
艇を岸に寄せ見覚えの有る景色を探しながら進む。二色の浜のマストのオブジェが見えてきた。
もう着いたも同然。堤防を廻りヨットクラブを目指す。クラブの堤防を回り込むと見慣れた浮桟橋が見える。
既に桟橋にはクラブの人が舫いを取るため待っていてくれる。
此処には監視カメラが沖を向いているので、堤防を廻った地点で見つかっていた。
舫いを取って貰いながら「お疲れ様」と声を掛けられる。
桟橋に降り立ち 自分で舫いを直す。自己責任
やっと着いた~~~と座り込む。
子供達を叩き起こし事務所に向かう。停泊の手続きをしてお風呂に入る。
やっと人心地着く。お風呂が温かい。レストランでカレーを食べる。旨い。
携帯の充電は、とっくに切れているので、充電が切れていることと無事着いたことを風来坊さんに連絡してもらう。
明日、予定のある子供たちを クラブの車を借りてJRの駅まで送る。
今日は、もうすることが無い。静かなハーバーの中でワンコと休むことにする。
5日目 晴天
昨日とうって変った上天気。
出航の準備をしていると、風来坊さんが来る。
前日、淡輪の脇さんから 小豆島に居ることを聞いていたので心配していた、と言う。有り難い。
携帯の電池切れで、居場所の連絡も出来なかった不肖の弟子です。次までにインバーターを買おう。
Cooの船外機の艇速では、一日で帰って来れる距離では無いし、洲本や豊島に避難している艇からも「来ていない」と 何処に行ったのだろうと。
不肖の弟子は、気になる様だ。
ちなみに去年同じころヨットを買った人は 今、ハーバーの中で 離岸・着岸の練習をしているらしい。優等生だ。
事務所に寄り出航の項を伝える。風来坊さんに伴走されバーバーを出る。
心地よい微風が吹いている。すかさずセイルを上げる。
綺麗にカーブを描いて膨らむセイル。風来坊さんが写真を撮ってくれる。
風来坊さんと別れ母港に進路を取る。関空連絡橋をくぐった所でカメラを持っていた事を思い出す。ワンコと連絡橋を写真にとる。
後は、連れ潮で友水(友ヶ島水道)を越えるだけ。
「思い出になるいい航海だった」とこの時は思っていなかった。
教訓
「トラブルは大きいほど思い出すときにいい思い出に成って忘れない」
後日談
風来坊さんが ご自身のHPに此の事を載せた
「ヨットに乗って半年の新米が 強風波浪警報の大阪湾を23ftのGPSもオーパイも無い船外機の艇で横断してきた」と・・・
良くも悪くもちょっと有名人に成った。
波乱万丈のヨット航海記は、続く
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