落石岬の想い出

『出会い』

もう直ぐ日付は、変ろうとしていた。
9月に入ったばかりなのに 大雪山の道は凍えていた。
昨夜、弟子屈で目に付いたスポーツ店で、急遽ヤッケを買ったが、指先と爪先の痛さは如何ともしがたい。
だが、「止めよう」と言う考えは微塵も湧かなかった。ただ、「彼女の笑顔をもう一度見たい」頭と心の中は、その事しか無かった。

二日前泊まったYH(ユースホステル)で、夕食後小さいグループに分かれてゲームをした。
そのグループで一人の少女とペアに成った。
ゲームが終わった後も一人旅のその少女と話をした。行った場所、此れから行くところ、美味しい・楽しいYH
色んな情報を交換した。明日、落石(おちいし)へ行きたいと言う。

落石は、聞いた事は無いが、原生花園の先の絶壁に白い灯台が立つ、とても綺麗な所らしい。
しかし、ローカル線と路線バスを乗り継いでいては、明日、予約している尾岱沼YHにたどり着けないと言う。
(今から40年前の北海道は、観光ルートを外れれば、開発途上では無く未開地だった。
今は有名な オンネトーも道端に、探して居なければ見過ごしそうな板切れの小さな標識が有るだけで、未舗装の細い道を行くと全く何もない湖畔で、各自思い思いに佇んで、湖面を見ていた。

稚内に近い 浜頓別YHでは、紋別方向へ行くチャリンコに無料で、おにぎりとお茶が渡された。つまり、浜頓別YHから夕方たどり着く紋別まで口にはいりそうな物は、牧草と小川の水しか無かった。(牧場と集落は、点在するが、お店は、無かった))

私が、バイクで来ている事は既に話してある。しかし私は、帰途の途中で戻る事に成る。
「いいよ。載せて行ってあげる」二つ返事でOKする。

下心では無い。

もう少し彼女と一緒に居たい。彼女が見たい落石を一緒に見たい。純粋な気持ちである。(邪悪な人はこれを下心と言う)
早々YHの電話を借りて尾岱沼YHに空きを尋ねる。
ラッキーベッドが取れた。
翌朝、一つしか無いヘルメットを彼女に被せ、昨日、納沙布岬から一人で走って来た道を、背中に彼女の温かさを感じて走っている。
前方からオートバイの群れが来る。
彼女にピースサインを出すように言う。
すれ違いざま、向こうからもピースサインの列が続く。
通り過ぎてから、彼女に「誰?知り合い?」と聞かれる。
「知らないけど、仲間だよ」と、オートバイの習慣を伝える。
「あっ また来た」と嬉しそうにピースサインを出す。
列車の旅だとナンパ以外には声を掛けられないと言う。
素直にサインを出し合えるのは素晴らしいと言う。
暫く続いたが、浜中に行く交差点が近づいてきた。
今までは、国道とは言え田舎道だったが、此処からは、さらに田舎道になる。炭鉱では無いが、「幸せの黄色いハンカチ」の映像を思い出して貰えればいい。

昼は、過ぎたが、食べるところが無い。
見つけた雑貨屋でパンと500のコーラを一本ずつ買う。
店の前の草むらに座り込みパンを食べる。
コーラの一気飲みをする。バカである。でも受けた。
海岸に出て左に折れ 海岸線を落石岬に向かう。
高台の上、原生花園の手前でバイクを降りて歩き始める。
原生花園は、もう季節外れで花は、咲いていない。
緑の絨毯の中に作られた粗末な渡し板の先に白い灯台が見える。
灯台の脇を通り過ぎて、さらに歩いて岬の先端を目指す。
断崖の先に立ち、何もない海原と水平線、地球が丸いのが解る。
手ごろな岩を見つけ二人で座る。他に人影は居ない。
二人で黙ったまま海を眺める。断崖の下から風が吹き上げてくる。時折その風に乗って、手の届きそうな目の前にカモメが舞い上がる。最初は、ビックリしたが、慣れて来るとそれが楽しい。たまに此方を向いて浮かんできたカモメが驚愕して飛び去る。飽きない。

どれくらいそうしていただろう。話をした記憶が無い。
ただ 黙って海を見ていた気がする。
それでも思いの外 早く時間は過ぎていく。
私の左側に佇む小さな肩に 手を回したい衝動を抑え「そろそろ時間だよ」と心にもない言葉を伝える。
夕刻 尾岱沼YHに着いた。 夕食の後、明日 裏摩周展望台に行くメンバーを募集している。
彼女は、これに参加したかったみたいだ。
当然、迷わず 「はいっ行きます」と手を上げる。

『と、別れ』

翌朝、貸切バスに乗り込む。彼女は、友達になった女子たちとワイワイしている。
別に恋人でもない私は、男子の中に紛れ込む。女の子と話をするのが苦手な私は、少し離れて見ている方が気が楽である。

最初の目的地は、「開陽台展望台。」
此処は、釧路湿原が一望できる。
左手に少し海が入るが、日本で随一地平線が見える所。
一人手すりに寄り掛かる彼女の側に寄り「凄いね」と声を掛ける。振り向きながら「うん」と頷きながら微笑む彼女が可愛い。「あっ、海が見える」つまんない事を言ってその場を繋ぐ。普段もてない男の悲しさである。
人の幸せを断ち切る様に集合の声が掛かる。
此処からは、曲がりくねった山間部の道を抜け、
本日の目的地「裏摩周展望台」を目指す。
既に観光地である摩周湖だが、此処は表からは、見えず
ルートから外れるので観光客は、皆無に等しい。
バスを降りると目の前に掘っ建て小屋の様なお土産屋さんが、ポツンと一つ。摩周湖そしてポンモシリ(小さな島)
が見える。YHの引率に連れられ断崖の方へ向かう。
此処から湖面へ降りられるらしい。そして泳げるらしい。
近付くと断崖絶壁に生える針葉樹林の間を縫うように道らしき物が見える。
日本カモシカが通る獣道を想像して貰えると良い。
戸惑う彼女に「行こうか」と声を掛けそっと右手を出す。
素直に自分の手を重ねてくれた。「ヤッター」いい娘だ。
しかし彼女の手の感触を楽しむ余裕は無い。
崩れそうな土と石の道を木の根に足を掛けながら下りて行く。慣れて来ると道が見えて来る。
彼女に次の足の位置を示しながらやっと下に着いた。
2,30m位だろうか、永遠に続いて欲しかった。
女子は湖畔を散策するが、男子は、既に着替え初めて居る。
私も持って来た水着に着替える。歓声を上げながら
湖水に飛び込む。(その時は、世界有数の透明度と水質を心配するほど賢くは無かった。)
水面は、そうでもないが、1mも潜ると体が凍えるほど冷たい。何メートル有るか解らない湖底に沈む倒木が手の届きそうな所に見える。水が綺麗過ぎて距離感が解らない。
潜り始めたが余りの冷たさに諦める。
岸を見ると彼女が他の女子に写真を撮って貰っている。
そっと後ろに回って映り込もうとする。
写真を撮ろうとしていた女子が此方を指さし何か言っている。別に私は、摩ッシーでは無いが、「変なのが来た」
と言っているらしい。彼女が振り向いて此方を見る。
私だと確認しカメラを持った女子に「いいよ」とうなずく。
ヤッター  映り込んだ、彼女の写真に残った。
(此の頃はデジカメでは無い。削除も修正も出来ない)
(ただ、切り取って捨てる事は出来る。)
本日のイベントも終わり帰りのバスは、隣に座った。
思えば今夜の宿を予約していない。其れを尋ねると、
弟子屈町の釧網本線・弟子屈駅(現、摩周駅)から今夜の夜行で札幌に出て、一緒に回っている事に成っている友達と合流すると言う。(注、てしかが と読む)
(夜行列車とは、寝台列車では無い。もちろんベッドは、無い。普通列車が、一晩中走り続ける。宿と移動時間の節約に成る。周遊券で乗れるので貧乏学生は、皆利用していた)
荷物も持ってきていた。
バスは、列車にのる数人を降ろす為 弟子屈駅に止まった。
一緒にバスを降り改札を抜ける彼女を見送った。
「バス出ますよ~」非情な声に引きずる心を断ち切られ  すごすごとバスに乗る。
尾岱沼YHに戻り、荷物を受け取りバイクに積む。
しかし、今の私に走るべき目的地は、もう無かった。
ただでさえ重いエンジンのキックは何時もより重かった。
無意識なのか、未練なのか、バイクは、バスで来た道を
辿っていた。弟子屈駅に着き、改札の手すりから
誰も居なくなったホームを眺める。
ちゃんと別れの言葉も言え無かった。
あの可愛い笑顔をもう一度見たい。
此のままでは 心の行き場が無い。
理由と目的が出来たから迷う材料は、見つからない。
直ぐ駅員を捕まえ夜行列車の到着時刻を調べて貰う。
札幌 到着時刻 午前6時○○分。
間に合うか、などとは考えない。
間に合う様に走るだけだ。

大雪山を越えて
駅の近く「人形の家」と言う喫茶店で早めの夕食を取り。
コースの下調べをする。選べるほど道は多くない。
屈斜路湖 横の美幌峠を越えて、美幌に出る。
そこから国道39号線で 大雪山を越えて旭川に出る。
距離は、大雑把に400キロ 下道の峠越え、高速は無い。
喫茶店を出ると思いの外気温が低い。
層雲峡の標高は、600m
目に付いたスポーツ店で急遽ヤッケを買う。
ガソリンスタンドでガソリンを満タンにする。
後は、行くだけだ。
満タンに成ったタンクの横腹を ポン と叩き、
「たのむぞ」と声に出して言う。
私の相棒 カワサキ 650 W1SA 。通称エスエー
美幌峠のパーキングに愛車を停めて 眼下に日暮前の屈斜路湖を眺めながら、タバコに火を付ける。
ゆっくり出来るのは此れが最後だろうと思う。
徐々に闇を深める屈斜路湖を右にみながら峠道を
一路 美幌に向かって下って行く。
美幌に着く頃には日はどっぷり暮れて夜の領域に入って行く。石北線に沿いながら西へ向かう。留辺蘂で石北線と別れ
本格的に山越えの道へと入って行く。(るべしべ、と読む)
人家もまばらに成り、街灯さえ無くなる。
曇っているのか月さえ見えない。

どれだけ走っただろう。
対向車も絶えて久しい。
元気な内に出来るだけ距離を稼ぎたい。
そろそろ 層雲峡に差し掛かる。
もう直ぐ日付が変わる。
9月に入ったばかりなのに 大雪山の道は凍えていた。
ヤッケを買ったが、指先と爪先の痛さは如何ともしがたい。
だが、「止めよう」と言う考えは微塵も湧かなかった。
ただ、「彼女の笑顔をもう一度見たい」頭と心の中は、
その事しか無かった。
漆黒の峡谷を白いセンターラインを頼りに走る。
650cc 4サイクル バーチカルツイン、キャブトンマフラーから響く重低音の排気音が夜のしじまに響き渡る。

いくら北海道とは言え冬装備が要るとは思わなかった。
しかし つい先日までアルバイトをしていた知床では、普通にストーブが置いてあった。寒い日は火を入れた。
間に合わせのヤッケで体が限界を迎える前に層雲峡に着いた。 自販機位しか無いと思っていたが、有り難い事に
夜間食堂が開いていた。
バイクを停め、エンジンを切ろうとするが指に力が入らない。両手で挟んでエンジンを切る。
店内に入るとストーブが燃えていた。
ラーメンを頼んでストーブで凍った指を溶かす。
ラーメンが来たので、ラーメン鉢でさらに指を温める。
指がむず痒い。指の出たドライビング手袋しかしていない
ので無理もない。
店内は、トラックの運転手が数人居る。道東から札幌方面へ作物を運ぶ時間待ちらしい。

体が温まったので再び走るべく店を出る。
後、5時間、200キロ。山道だったので思ったほど距離は稼げて居ないが、まだ余裕は、有る。
しかも、此処からは下り道、峠は直ぐに終わる。
旭川からは、平野だ、距離と時間を稼げる。
見上げると少しだが、星が見えている。気合が入る。
冷え切ったエンジンを再びスタートさせる。
言葉ほど簡単には行かない。特に冬場は、
650cc2気筒OHVのエンジンは簡単に掛からない。
キックする事十数回やっとエンジンが掛かる。
キックのせいで体も温まった。
慎重に峠を下り、夜の旭川を抜けると空が明け始める。
ひたすら真っ直ぐな国道を札幌に向けて走る。
アクセルグリップのネジを締めてアクセルを固定する。
右手が楽になる。
(W1シリーズの正規装備。普通に回せば戻せる固さ)
車はほとんど居ない。遠くに信号が見える。
気が付くと信号が後ろに有る。 
ヤバイ 寝てしまった。初めて、バイクで寝た。
思ったより寒さが堪えている。
自販機でコーヒーを買う。札幌は、もう目の前だ。
6時前、札幌駅に着いた。駅員を捕まえ到着時間を確認する。
定時到着を確認し、売店で温かい牛乳とパンを買う。
後は、待つだけだ。
到着前、改札の横に立ち彼女を待つ。
降りて来るだろうか、気付いてくれるだろうか、
人が降りて来る。
早朝なのでそんなに多くない。
彼女が居た。此方に来る。私に気付いた。
軽く右手を上げる。
此方に駆けて来て「どうしたの?」と聞かれる。
誤魔化せる状況ではないので、素直に
「もう一度会いたかった」と言う。
呆れた顔をする。
喉まで出かかった言葉は何も出てこない。
「何処まで行くの?送るよ」

目的地に着いた。彼女はバイクを降り、ハンドルの傍らに立ち ヘルメットを脱ぐ。「ありがとう」と言って私に渡す。
ヘルメットを受け取りながら「又、何処かで」
と言う「うん」とうなずき小走りで立ち去る彼女。
角を曲がるとき此方を向いて手を振る。
それにピースサインで返す。
其れを見て慌ててピースサインを出して角を曲がって消えた。 
最後の我が儘を聞いてくれた彼女の優しさ。
此処までである。其れがルールだと悟った。
全て終わった。 
此処からは、彼女の世界である。
私に立ち入る隙は、無い。
暫くの余韻の後、
バイクをUターンさせ 途中だった帰路に着く。
目的は、果たした。ちゃんとお別れも言えた。※
目的は、無く成ったが、気分はさわやかである。
函館に向かう途中、土建屋の砂利置場にバイクを乗り入れ
砂利の山にもたれ ヘルメットを顔の上にずらして眠りについた。いい匂いがする。
※旅行を始めて気が付いた。「さよなら」は、又直ぐに会える人か、二度と会いたくない人に言う言葉である。
もう会えないかも知れない人に
「さよなら」は、寂しすぎる。だから何時も別れる時は、
「又、何処かで」と言う。

抽入歌「旅の終わり(北海道ユースホステルの歌)」検索
高石友也とザ・ナターシャセブンの「思い出の赤いヤッケ」
でもいい。彼女は赤いジャンパーを着ていた。
にぎやか好みの方は「夏祭り」もいい、

参考になる映像 新谷かおる・「左のオクロック」

作者後書き

40年前の虚ろな途切れ途切れの想い出、それを文字で繋ぎ合わせて行く内に新たに甦る想い出、と修復される想い出。

例えば、弟子屈での別れ、この作品を書き始めた時、私は彼女を何処かの駅で降ろしたと思っていた。
しかし書き始めると彼女を降ろした駅が思い出せない。
地図を見て可能性の有る駅は、根室本線・厚床駅と釧網本線・摩周駅、どちらも覚えが無い。
弟子屈町・摩周駅が気に成った。調べて見ると、(旧弟子屈駅)と有る。
思い出した、裏摩周の帰り、此処でバスを降りたんだ。
そして一人戻ってきた。其処から(人形の家)から(ヤッケ)へと思い出が繋がる。
ルートで言えば、最初に覚えていたのは、右手に夕暮れの洞爺湖を見て走っていた。
凍えた層雲峡を踏まえるとコースは限られてくる。
夜間食堂と寝過ごした信号は、ずっと覚えていた。
砂利の山にもたれて寝た事も。

検索すると想い出のYHの幾つかは廃業していた。
尾岱沼YHも浜頓別YHも、40年の月日を感じる。YHの体制も変わってしまった。
今なお昔のままなのは、礼文島の桃岩YHだけらしい。
喫茶店、「人形の家」もまだやっているらしい。
機会が有れば両方とももう一度訪ねたい。

此れは、それほどとんでもない行動だとは思っていない。
二十歳前後の男の子なら、こういう状態になれば誰でも起こす行動だと思う。

誰もが持つ青春のほろ苦い思い出である。

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