角マ丸青春日誌!?(インタビューアーbyオプ)

2017年10月11月の各一週間ずつ、私オプは自分のヨットOPERAの船底剥離・塗装メンテナンスと言う“地味な重労働”に挑みました。心が折れそうになる程の過酷な作業だったのですが、角マ丸さんがずっと手助けしてくれました!
作業をしながら、角マ丸さんの少年時代や青春時代、現役船乗りとして世界中の港へ出入りしていた頃のお話をたくさん聞かせて頂く事が出来ました。そんな角マ丸さんの面白いお話を“半ば強引な承諾”のもと公開させて頂きます(笑)筆者オプ

19歳の角マ丸さん

左の写真は(スマホでご覧の場合は上の写真になります)1969年の角マ丸さん19歳の時の写真です!1969年と言えばニクソンが第37代アメリカ大統領になり、長野放送や富山放送テレビ等のローカル局が各地で産声を上げた年、更に7月にアポロ11号が月面着陸して中継では世界中がTVの前に釘付けに!?TV・放送局の普及により音楽も色々な形で電波に乗って飛び交いはじめます。ブルーライトヨコハマ(いしだあゆみ)、長崎は今日も雨だった(クールファイブ)、グッドナイトベイビー(ザキングストーンズ)等の音楽が日本を駆け巡り、映画では「イージーライダー」が上映された時代です(と言うか私オプはまだ1歳になる前なので余り覚えていませんが…)。

そんな時代背景の中、青年角マ丸さんが取得した海上特殊無線技師免許証の写真をお借りしました。拝見した瞬間、おもわず「あの時君は~若かった~」のフレーズが流れました(笑)
この世代の方の写真を拝見すると、コテコテに飾らずとも誠実な初々しさが持つ美しさを感じます。「え!角マ丸さん美男子じゃん!!」と言った私にすかさず「え?今はダメって言うこと?」とはにかんでみせる角マ丸さんの船員時代のお話を書かせて頂きます。

今から三十数年前。当時「車両運搬船」に乗船勤務して世界中を回っていた角マ丸さん。ニューヨーク近隣の「ニューアーク港」で運んできた自動車を陸に降ろします。船で自動車を運ぶ場合、専門の現地要員ドライバーが手際良く自走しながら降ろしたり載せたりする訳ですが、上記写真のような純真純朴な角マ丸青年・・・近づいて来たアメリカ人ドライバーの言葉「How Many Cars?(何台降ろす?)」と言う質問が「ハーモニカ?」に聴こえてしまい「弱ったなぁ…ワシ、ハーモニカ持っておらんし・・・そもそもそんなに得意じゃないし…貸してやるから吹け!って言われたらどないしよう…それにしても今アメリカじゃハーモニカが流行しとるんやろうか?」と暫く考えていました。

角マ丸さん(2016年撮影)

その間も、目の前のアメリカ人ドライバーは更に激しく「ハーモニカ!ハーモニカ!」と連呼しています(笑)その都度、角マ丸さんは「だから~!わしゃハーモニカ吹けんって!他の人に吹いてもらい~!」と顔の前で手を左右に振ります(笑)アメリカ人も頑張ります!「No!No!No!-How Many Cars?」とハンドルを回すジェスチャーをしました。さすがにこのジェスチャーで理解した角マ丸さん!大赤面してしまわれたそうです(笑)

もしもあの時偶然に、ポケットの中や船室にハーモニカがあったら、きっと演奏していたことでしょう(笑)