2017年4月23日~5月9日 タヤナ37で沖縄から九十九湾行の記録(筆者:レプトン)

こちらのページに掲載させて頂きました風景写真は、全て「ヨット ファーストウェーブ号」様ホームページより借用いたしました。この場をお借りして御礼申し上げます。石田帆友会web管理 オプ

ご縁が有り、沖縄から能登半島の九十九湾へ帰るヨットに乗せていただきました。
乗船中はあれこれと邪魔をしていたことと思います、すみませんでした。
自分がこんなに長い距離を航海する事は出来ないので、又と無い体験ができました。
乗せていただいたK艇長さんに厚くお礼申し上げます、ありがとうございました。

この航海は希少な事と思い、この様子を手帳にメモしておりました、これを読めるように作文してみました。
至らぬところ、間違い等、気の付かれましたところが有ればそっと教えてください。
(乗せてもらった船は タヤナ37 です。設計はアメリカ、作ったのは台湾の造船所です。)

2017 H29 4/23(日)

魚津駅を出発→小松駅→小松空港→那覇空港→首里→与那原マリーナ
大きなザックを担ぎ小さいイス付ザックを持って魚津駅10:20の電車に乗る。
車内は空席が少ない、高岡駅から金沢駅までは通路にも人が立つ。清潔そうな電車、皆さん
スマホかおしゃべりで平和な日本です。

金沢駅で乗り換える、どのホームにも外人さんが多い。
12:39 小松駅着、駅前のバス乗場から見る小松駅は三階建て、新幹線の駅のような大きさだ。
在来線だけにしては立派過ぎ。(小松市の皆様すみません)

13:00 バスに乗り小松空港へ。ここでK氏と合流、一緒に行く予定だったK氏友人は急用のため
行けなくなり、二人で行くことが分かった。(k氏は艇長です)

14:20 離陸、機は日本海を南下、福井港の油タンクや天橋立の砂州も見える
「鳥取上空9000mを飛行中」の機内アナウンス、左下の瀬戸内海の島々が、もやの中に見える。
来島海峡が、佐田岬半島が伸びてのびて機体の下を通る
帰りはこの海面を北上する事を思いながら見下ろし、豊後水道を飛び越して九州に入る。
窓ばかり見ているものだから、K氏がスマホでGPSの画面を見せてくれた。
おかげで種子島、奄美大島、が良く確認できた。
16:10 機内アナウンスが徳之島を知らせる。見下ろせば島じゅう畑だらけである。
高度を下げ始め機体がゆれる、与論島が見えているアナウンスも入る
16:35 着陸。早い、快適、便利。飛行機って大したもんですね。

空港のモノレール乗り場へ歩く、はっきりと暑い。北陸のファッションから沖縄用半袖に代える。
モノレールで首里へ。ここのスーパーで食料を買い、タクシーで与那原マリーナへ向かう。

乗って帰るヨットはこの与那原マリーナに保管されているのです。
マリーナで手続き後リヤカーで荷物を艇へ運ぶ。21:00シャワー、22:00遅い晩飯、久米仙(泡盛)
オリオンビールが旨い。南東8m 星が見えている。23:00寝る。

2017 H29 4/24(月)

与那原マリーナから→糸満港へ(途中で変更になり)→宜野湾マリーナへ回航
朝食はトーストと目玉焼きと野菜サラダ。+アルコール消毒仕上げ。
8:10 出航、左舷のタンカー桟橋を過ぎ久高島の西の水路を目指す。
米軍のヘリが頭上を飛んでゆく、ここは沖縄なのだと確認させられた。
右舷には沖待ちのタンカーが二隻停泊している、どれも中型タンカーである。
沖縄の海は珊瑚礁が有り、どこからでも自由に陸に近づけない、不用意に寄ると座礁乗り上げ沈没
となる。
久高島の水路に近づくと珊瑚礁帯の終わりにすっくと灯台が海面から立ち上がっている。
浅いところはどこも白く波立っている。初めて見る珊瑚礁海域の構造と危険さを頭に刻む。

9:50 久高島の西の水路を抜け、太平洋に出る。進路を喜屋武岬へ取る。
ポートタックのクォータリー、ジブのアウトホールが高い位置にあるので良く風が流れている。
海の色はなじみの無い色、よく本に書いてある濃い青いインク色になっていました。
晴れているので日の光が入って本当に不思議な海の色、太平洋色です。

▼本島知念岬と珊瑚礁帯の水路灯台

13:00 喜屋武岬を回りこむと糸満市方面が見えてきた。
那覇空港への着陸進入路になるので頭の上を大小色々のジェット機が飛んでゆく。
ひときわ鋭く大きな音を出してゆくのは自衛隊のF15戦闘機です。図体は小さいんですが。
少し進んでから予定が変更になる。今日は糸満の港へ入り、明日4/25(火)に宜野湾港へ向う予定
だったのだが、今日このまま進んで宜野湾マリーナへ入る事になった。宜野湾は火曜日が休業日
なのだが総合的に判断して、そうなった。
糸満港沖には、ご多分にもれず、ここにも珊瑚礁の合間の通行水路に大きな標識のブイが有る。
南の島はどこでもこれを厳重に見ていかないと偉い事になる。危ないあぶない。

15:00 那覇空港沖を過ぎる。曇り、東8m、波0.7m、クローズホールド。F15が頭上を旋回する、
力の有る大きな音が腹に響く。

16:10 宜野湾マリーナ最沖の右舷浮標を通る
16:30 宜野湾マリーナ着岸。
16:50 事務所で受付、シャワー券190円/人を各自買っておく。
ビジター会員のIDカードを作ってもらう。これで場内と駐車場のゲートが通れる。
続いて向かいにある大きなコンベンションシティーのスーパーへ食材を買いに出る。
宜野湾マリーナの周りは大きなビルが建ち並びスポーツ店、食品、東急ハンズなど大小いろんな
店が有ってすごく便利なところである。

2017 H29 4/25(火)

曇り、マリーナ休業日→船整備プラン考、観光、夜は艇長の沖縄の知人来訪で外食
7:00 起き。朝食後マリーナの船を見物をする。小さい船でも30ftでカタマランも多い。
モーターボートもでかい、家のようなのがあちこちにいる。船数も多い。

10:00 マリーナを出る、タクシーでレンタカー屋へ、28日まで借りて13,590円はお安い。
国際通りに連れて行ってもらう、人がとても多い、どの店も活気が有る、中学生があちらこちらに
多い、盛んに何かを食べてにぎやかにしゃべっている、聞いてみたら四国から来た修学旅行生
さん達でした。先生は大変そうでした。

12:00 スシローで昼食。終わると浦添ホームセンターへ、ここでヨットの水栓金具交換用品を買う。
他色々買い物して船へ帰る、すぐさま水栓金具の修理が始まる、予那原から宜野湾までの途中
キッチンで水を使うと水が漏れて大変でした。それを直すのです。
艇長のあざやかな仕事ぶりでみごとに直る16:00。水漏れなし、良く出て、良く止まる。
次はコーヒーとアルコール消毒をする、そして遅い昼寝。

17:00 荷物を仕分け、船の整備、出航用意、連絡他・・・。
18:30 K氏の知人来訪、積もる話しは外で夕食をしながらすることになり、町に出る。
マリーナの近くのコンベンションシティー内の餃子大将へ入る。
知人の方からヨットにかかわるいろんな話、明石から沖縄までヨットを運んだ航海の苦労話しを
聞かせてもらい、大いに盛り上がって解散。

20:00 船へ帰る、シャワーに行って外で涼んでいると艇長から声がかかる。
テレビで白石さんのヨットの番組をやっているから見ようという事でした。
でかいヨットを一人で操船、世界一周レース。こりゃまー、体力勝負です、大したものです。
あれやこれやで11:30に寝る。

2017 H29 4/26(水)

曇り小雨 上架業者さんと打合せ(上架は順番待ち潮待ちです)。観光と食材買出し。
7:00 起床、コクピットに出て顔を洗う、小雨が降ってしっとりしている。が裸足でうろついても
足は濡れずそのまま座っても大丈夫。これはコクピットに屋根が有るからで、ステンレスパイプ
で組まれ、パルビットと船体に固定されている。屋根面材はトラックのシートが使われ頑丈だ。
おかげで雨に濡れにくく、日にも焼かれず体力の消耗が少ない、とても快適である。
(艇長さん自作です)

朝食はパックご飯を電子レンジでふっくらさせて、ハムエッグ、キャベツとトマトのサラダ、
味噌汁あさげ、漬物、食後にコーヒー、船が動かないので落ち着いて出来ます。
食後にマリーナを散歩、どこを見ても30フィート以下の船は無い、整備と修理中の船が
あちこちに有る、残材が片付けられないままでけっこう見苦しい、汚い。
船に帰るとレーダーの試運転の真っ最中。アンテナを昨日スターンパルビットの上方に付けました。
不調なFURUNOの画面の上棚にHONDEXの新しい小ぶりなLEDが黄色い残像を映している。
視界の無い霧の中ではこれが無いと危なくて走れないそうです。
パイロットハウスの天井にGARMINのGPSが付けてある、コクピットからも見えるのでとても良い
周りにも電子計器がいろいろ取り囲んでいる。

11:15 観光と買出しに出発。初めは嘉手納基地へ行く。かねてから見たかった所。
「道の駅かでな」の4階まで上がる。基地は高い塀で隠されているがここからなら基地が覗ける。
観光スポットらしく沢山の人で大賑わい、修学旅行生や中国の観光客も大勢来ています。
北朝鮮が弾道ミサイルを打っているのでこの基地でも対応をしているのだろう、そんな思いを
もって眺めた。戦闘機や大型機が飛ぶのを見たかったがヘリが行ったり来たりしているだけで、
残念。
12:50 宜野湾漁港のみなと食堂で昼食。海人定食¥1,000と惣菜を買う。続いて流通店へ、
充電アダップターやら食料やら・・・。船に帰って昼寝。

夕方、上架屋さんが船底の形を見に来る事になっている。それまで船側の掃除をして待つ。
17:00 ウェットスーツを着たその方が来る、ちょっと話してあっさりと手馴れた感じで海中へ消える。
形状と寸法が分かったので明日9:00に上架スロープへ行く事に決まる。
上架屋さんは日に焼け体型も声も、とてもタフそう、70歳を越えたのでダメですと言っているが、
体はしっかり肉付きがよく元気でその年には見えない、顔もどこかの親分さんみたい。

2017 H29 4/27(木)

上架スロープで上架、船底をジェットで掃除、船底塗料塗り。
6:15 起床、野菜炒めの朝食、時間が気になりなにやら気ぜわしい。
ビジターバースを出てポンツーンの外を回り北の上げ場スロープへ行く。
9時少し前に着く、見れば、スロープ台はすでに海中に有って、台の外周の柱が6本水面から
突き出ている。船台はその中央に沈んでいるのだろうか。
スロープの横に沿った岸壁の先の角から昨日の親分さんが大きな声で船の位置を指示する。
北の風で流されないように突き出た柱にロープを架けて風上側の間隔を保つ。
これも親分さんの指示。
ここで親分さんともう一人がボンベを付けて潜る。船台の受け座を伸ばし、キール底と船台の
隙間を合わせる、指示された詰め物木材を陸の社員が送る、また潜る。スロープ台も巻いたり
出したり、そして遂に引き上げとなる。

10:00 台は地上の高さに揃う。さっそく高圧洗浄機で洗い始める。海面線のすぐ下に海草が
付いているが、短いし少ない。船底全体は黒々としてほぼ塗料の色である。ジェット水が
当ると海草が取れて黒が濃くなり小さな藻が付いていたのが分かる。
我が魚津、黒部の付き方とは大違いだ。同じ一年弱なら、かき貝とふじつぼと海草がぎっしり
隙間無く付きます。綺麗なのは塗料が優秀なのか、生き物の密度が低いのか、沖縄では
船底に貝が付かず綺麗なのに驚きました。

午後から雨がぱらつく。が本降りにならないとみて船底塗料を塗る、艇長はローラーで、こちらは
刷毛で狭いところを重点に塗る、色は黒色。18:00に止め、浦添の湯へ行ってスッキリする。
帰りはスーパーに寄り、船で晩ご飯、ゴーヤ炒め、マグロ、鯛の刺身、オリオンビールもうまい。
上架したので船が高くなった。梯子が無く、脚立が低くて船の登り下りが危険だ、慎重に
動かないといけません。

▼6本柱のスロープ台に乗った船台とfirst wave号

2017 H29 4/28(金)

曇&晴 船底塗料を二度塗りして整備完了、コインランドリーで洗濯、満ち潮で下架。
6:00 起床。艇長から顔が浮いている、まぶたも腫れぼったいと言われる。
恐らく船底塗料の溶剤が悪さをしたのかもね、と答える。その自覚は無く体調はすこぶる良い。
二度塗りと、船側支え板を外して塗り残しを無くする、ペラクリンも塗り塗料と整備を終了する。
下架は満潮の20:00頃になる予定と聞かされる。
11:20 汚れ物が溜まったのでコインランドリーへ行く。昼食の焼肉弁当を食べて仕上がりを待つ。
明日出航なのでレンタカーも返す。

夕方、隣で整備していた120ftの船がスロープで下架する。船が長いので下がるにしたがい
船首が地面と近づき当りそう。しかしがうまい加減で下ろしてゆく。あの親分さんは上手いものだ。
これが終わって少しして、潮が満ちて来ているのでやってみようという事になり、予定時間より
早くスロープ台に乗る。そして18:30浮きました。この後、親分さんの指示でポンツーンに
舫う。陸電が使え、テレビ、冷蔵庫も存分に使える文化生活になる。
明日いよいよ出航である。

2017 H29 4/29(土)

晴れ 宜野湾マリーナ→伊江島→沖永良部島沖の太平洋
5:00 トイレに出る、東の低いところに木星が、黄色く大きい。宜野湾の町の上がオレンジ色の
もやで丸い空になっている。良い天気になりそうだ。

6:10 後進離岸で離れる、遂に出航した。港口の先は水路標識に従う。3番左舷標を右に見て、
4番の右舷標を左に見てサンゴ礁帯の水路を抜ける。
北東2m 波0.7mうねり有り。 残波岬へ続く陸の風景が富山湾での見え方と同じで地元を
思い出す。クローズリーチ、エンジン2000回転で残波岬へ向かう。

7:00 カタマラン艇が追走してくる。
風は北西になったりして定まらない。艇長は魚釣りのリールをパルビットに取付けるのに忙しい
そのためセールのトリムはしばし成り行きにおまかせ。
本船が近くを行き交う、80m程の長さの船を多く見る、A’LINEと書いたスカイブルーに塗った
フェリーが追い越してゆく。船がほんまに多い、沖縄は島である事を再認識させられる。

8:15 残波岬を右真横に見る。針路の先には富士山のミニチュアのような影が水平線から
出ている。右手の高い山並みは本部半島だから、ミニ富士山は伊江島なのだろう。

9:10 伊江島の富士山の下に左へ平たく島影が伸びている。振り返ると右手後ろには
残波岬灯台と大きなホテルが、右前方には美ら海水族館の連なりが濃い灰色に見えている。
目を凝らすと水平線が少し盛り上がっている所が有る、伊江島と本部半島の中間だから
水納島だろう。突然何を思ったか、ここで上さんへ電話する、「沖縄を出航しました」

10:55 水納島が右舷真横になり島の家がよく見える、一時方位には白波の立つ
中の瀬もすぐそこに有る。少し進んで伊江島が近づく、ここで予定を変更。
伊江島で燃料を入れていくことになる。
艇長は伊江島の友人に電話してこれを伝え、伊江島に針路を回す。

▼伊江島を出る、山は「城山」遠目に富士山のミニに見える。

伊江島もに珊瑚礁が有り、港の出入水路を通らなければ座礁することになる。
双眼鏡で見ると港口の沖に赤白の安全水域浮標が見える。艇長はこの辺りにも精通して
おられるので安心だ。

11:30 友人のkさんが出迎える岸壁に着く。フェリー乗り場の先の静かな所だ。
13:00にタンクローリー車が来る事を確認して昼食、昼寝。

給油が済み出港準備が出来たところで、kさんが島でゆり祭りを開催してるからと言って
連れて行ってくれることになる。

▼伊江島ゆり祭り

会場は島の北で、ミニ富士山「城山」の近くを通り、途中道案内の娘さんたちが立つ角を
いくつも曲がり島の反対側の北側へ出た。風力発電風車が回り東シナ海の風が吹いている。
ゆりは海に向いた斜面に白い帯のように咲いている。帯は何段もあり向こうまで続いている。
風土で進化したのか、ゆりの丈は30センチ程でとても低い、でも花は普通のゆりの大きさである。
茎と葉の部分が少なく花の割合が多いので植えられた斜面が白い帯のように見えるのだ。
こんなのは見た事がない、独特の美しさである。
帰り道のスーパーで食材を買い14:00出航する。
この島でも感じた事は、人々からやる気が感じられる事だ、タンクローリーで給油に来た人も、
kさんにも、道案内に立っていた娘さんや奥さん達からも、スーパーでも。実は、沖縄や島では
時間がゆっくりなんだと思い込んでやってきていたのです。しかし、首里でも、予那原でも、
宜野湾でも皆さんきちんと対応していただきました。これは、やっぱり同じ日本なんだなーと思った。

14:40 伊江島発電風車の沖に珊瑚礁の白波と堤防が突き出ている、△▽の東方位浮標が
有りこの西に有る危険な珊瑚礁帯を知らせてくれている。
11時方位には伊是名島がもやの中に見えている。

15:10 伊平屋島が伊是名島の後ろに見えてきた、島が重なっているが島影の濃さがくっきり違い
区別できる。

16:10 MARX LINEのフェリーが左舷を南下してゆく。ここまで来る間に沢山の本船と行き交った、
島々を行き来する道はこの海路で、九州から続く島々をつなぐ大事な道だ、国道南西諸島線なのだ。
自動車はフェリーと貨物船に変わり昼夜走っている。

17:00 伊平屋島の南端が左舷真横になる。

18:20 沖縄北端の片戸岬を右舷横に見る、与論島がはっきり見えてきた。
晴 北4m 波0.5m うねり 5.2kt

20:50 与論島の家灯りが右舷に見えている。水平線と同じに横に伸びている。
明るいのが4灯中心に有ってその右側は明るくにぎやかだ、青い灯台灯も分かる。
針路の少し右、水平線に星団のような小さな光が見えている、沖永良部島なのだろうか。
過ぎてきた片戸岬と伊平屋島の灯台が後ろの左右に光る。
西の水平線近くに月が薄い赤黄色で昇っている。
晴れているのだろう、満点星に近い、でも一番明るいのはマストの灯りだ。

22:30 5.6kt 機帆走。航跡の中に夜光虫が光って暗い海に白い帯を引いている。
与論島は5時の方向に、かすかに光が残っている。代わって左舷11時に沖永良部島の
灯りが水平に細く長く明るく近づいてきた。
月の無い空は星だけでさみしいが飛行機の点滅光が入れ替わり立ち代り星の中を動いて
飽きさせない。
船はここで与論島と沖永良部島の間を抜け東シナ海から太平洋へ出る。

23:50 沖永良部島が左舷真横になる。島中央にひと際明るい灯が3個、その南側の方が
灯りが多い、家が多いのだろう。

~オプメモ~
レプトンさんから頂いた位置情報・状況等を掲示板に掲載しておりました。その当時の情報を挿入させて頂きます。

2017年4月29日
AM 6:00 宜野湾を出港
AM 8:15 残波岬正横。伊江島に向かっている。天気晴れ。北西4Mの風。

PM 19:49
与論島の家灯りが前方に見えているそうです。伊平屋島(いへや島)が後ろに見えているとの事。オーバーナイトでのセイリングになるようです。
電話で少しお話ししましたが、お元気そうでしたし熱気をも感じるトーンのお声でしたので安心しました。

2017 H29 4/30(日)

沖永良部島沖の太平洋→奄美大島古仁屋港で食材補給、泊。
昨日は0:00に寝た。艇長のまねをして起きていたが、「中で寝られ」と言われそうすることにした。
戦力にならない者がいてもかえって余計な気遣いがかかって疲れが増えるかもしれない。
そんな都合の良いふうに思って寝かせていただいた。

6:30起床。海象が穏やかなので良く寝れた。艇長はコクピットで城を守るの武者のようである。
夜食の残りが夜の航海の長かったのを気づかせる。
朝食を作る。左舷の窓から高い山が真横に見える、島の右半分は山また山で、左がなだらかで
町になっている。朝日を受けて明るく綺麗だ。よく見えるのは島に近いせいだろう。
晴 北西3m 波は無くのびやかな低いうねりが船をゆったり揺らす。

7:40 過ぎた徳之島と向かう奄美大島の山々が同じ濃さの霞色の影で見えている。
ここで見る風景に何やら安堵する、山の形が富山で見る山とおなじだからだろうか。

8:50 晴れて青空、水平線近くは全周層雲。朝日を受けた飛行機が高度を下げ南西へ
飛んでゆく。大島が近づき徳之島はとても薄い影で見えている、でも大きい。

9:30 風が弱くなりジブをしまう。加計呂麻島の山の後ろから更なる山が見えてくる。
山々は重なりを増し山並みを作り山脈になっている。この高き大きな山々を見たらとても落ち着いた
気持ちになった。
この時一大事が起きた、突然カリカリ・・・と2台のリールが鳴り出し驚く。釣り糸がどんどん出てゆく。
艇長が素早く巻いてタモで上げる。カツオです、45cm位。背は太平洋の色で後ろ半分がサバの
模様、腹は銀白色で光を反射している。美しい。
静かになってから三枚におろしてラップして冷蔵庫へ直行。この後少し大きいのがまた釣れて
計三匹になりました。

11:00 大島海峡口を機走で入る、11:40 古仁屋ビジター岸壁口。
艇長の友人が二人出迎えに来ておられロープを取っていただく。
こじんまりした専用岸壁でプールのような所、公園の横に岸壁が有ると言っても良い。
トイレと水が使えてとても便利で快適な所である。
昼食は釣ったばかりのカツオをタタキに。調理する艇長の手さばきはよどみなくバーナーの
炙りも見事、冷水が無いので冷蔵庫のお茶に浸けて冷やすのが極めつけ。
半身が一人分、沢山あるので食べれるかと思っていたが無駄な心配でした。ビールも美味しく
あさりとみんな腹に入りました。つまり美味しかったという証明です。
さっきまで太平洋を泳いでいた元気いっぱいの魚です、それを食べたので体に力がついた気
になりました。腹いっぱいになったところで、昼寝がはじまる。

▼奄美大島大島海峡

15:40 食材の買出しに行く、公園の隣は加計呂麻島のフェリー乗り場、この裏のゴミ置場箱に
ゴミを入れれて助かる。その先のA・コープで買い物。船に戻り冷却水回りの修理にかかる。
ポンプのベアリングとオイルシールに問題があると見て分解してゆくのだが、これがまた大変。
ついに時間切れでまた組み立てなおしして試運転。エンジンは調子よく回った。
晩ご飯は先の友人さんと一緒に頂く。神鷹という店で奄美豚のすき焼きをごちそうになる。
豚の味と、だしつゆが絶妙。終わりのうどんもいい、腹いっぱい食べた。
船に戻り11:00に寝た。

~オプメモ~
レプトンさんから頂いた位置情報・状況等を掲示板に掲載しておりました。その当時の情報を挿入させて頂きます。

4月30日 AM 11:00
 
古仁屋港着岸。

5月1日 AM 5:20
出航!クローズホールドで6.3ntの快走中。

2017 H29 5/1(月)

古仁屋港→口之島沖太平洋
5:00 ポリタンクの軽油燃料を船の燃料タンクに移す。3.2体入った。すぐ出航する。
今日も晴れ、屋久島まで、その先も穏やかであって欲しい。
フェンダーを片付けメインセールが上がる。

5:50 海峡口から太平洋出る。弱い風で風見は正面、エンジンは今日も低いうなり音で
船を押し進めてくれる、エンジンって凄い。
左舷には奄美大島の山が灰青色の影で薄くなった水平線の先まで続いている。

▼翌朝大島海峡を出た、屋久島宮之浦まで176マイルの航海

7:10 左舷をガット船が北上して行く、思えば島で使うコンクリートの骨材事情は
どうなっているのだろうか気になる問題が増えた。

10:50 喜界島が右真横になる。左舷に見える大島空港へ降りる飛行機が頭の上を飛んでゆく。
風は弱いままで海面は油のようにねっとりしている。
笠利崎沖の岩礁域には漁船が4隻、漁をしている、大物がいそうな気配がする。
途中カツオが2匹かかったが、小さかったので放した。
この日の昼食は豪華だった、カツオのたたき、ちんげん菜の豚肉炒め、オリオンビール
赤ワイン、富山県産のパックご飯で話も弾んだ。
長らく左舷に見え続けていた奄美大島とも遂に分かれる、機帆走5.3kt.

14:10 カツオが釣れた。艇長をまねて巻いてみたらうまい事上がった、三枚おろしも
怪しいが何とかサランラップに包んで冷蔵庫へ。近くには牙のような形の小さな岩塔が
二つ有った、辺りに他に島はなくこれだけが突き出ている。これは危ない、夜はまったく
もってお手上げだ。GPSとGアースで確認したい。海図も有れば見たいものだ。
(N28°44.984' E129°47.830'を通過しました)

16:10 晴れ 絹雲、風弱い風見正面、波なし、船速6kt 見回しても陸は見えない。

17:40 トビウオを見た、船首下から左へ横切りカチカチと音がして同時に海から飛び出し
船の前へ飛行して行く、飛行の後半はヒレを伸ばしたままで何もしないで滑空していく。
他にも捜すがこの一匹だけだった。
11時方向に悪石島らしい影が見えないくらい薄く見える、目をそらすと背後の雲に同化して
見失う、GPS画面を見ればはっきりと分かる、GPSの無かった時の人々の苦労が偲ばれる。

深夜、中之島の横辺りでスクリュウに絡んだ海草を取る。この船はダブルエンダーなので
船尾もすぼまっている。そのおかげで海面近くまで身を乗り出すとスクリュウが見える。
ヘッドランプを付けて特製の引掛け爪付内外刃付鎌棒を持ち安全索を取りガンネルから
のり出し絡んだ藻を外す。大事な事はスクリュウを切らないで絡めて取る事だそうです。
この後、流れ藻が多くなり日本海の萩港を過ぎるまでに数十回これをやるはめになる
(全部艇長がやられました)
この邪魔な藻は中国の海岸の海草がちぎれて流れてくるらしいです、本船ならいいが
この大きさのスクリュウの船には大群をなして来る藻は大変な脅威です。
この後、前室で寝た。やけにピッチングが増えてきた、いよいよ黒潮の横切りにかかったの
だろうか。海面を見たかったが真っ暗でわからない、残念だ。
艇長は今夜も夜走り体勢に入ってゆく、体を半分に分けて交互に休ませているのだろうか。
船を走らせて行く強い強い思いがそれを成し遂げさせるのだろう。

~オプメモ~
レプトンさんから頂いた位置情報・状況等を掲示板に掲載しておりました。その当時の情報を挿入させて頂きます。

5月1日 PM 18:30 
悪石島(あくせきじま)が10時方位に大きく見えてきているそうです!

少し左方向では、日が落ちようとしていて、海面に光の道が出来ているとのご連絡が入りました~!

PM 19:00 少し前から晩御飯を作っているそうです。
マーボー茄子・オリオンビール・佃煮・富山産パックご飯。

現在位置報告 北緯29°09分937 東経129°50分596との事です。
北緯・東経の数列だとイメージ出来ないので、こちら(オプ)で地図を作成してみました(笑)

2017 H29 5/2(火)

口之島沖の太平洋→鹿児島県枕崎市沖(晴れのち曇り夕方から大荒れ)
6:00 コクピットへ出る、今日も晴れ、船の前には島が、大きな島が立ちはだかっている。
屋久島である。なんとでかいのだ。船はその屋久島の中央を目指して進んでいる。
島の高さの中間に雲があり島の上と下が見えている。有名になった宮之浦岳はどれだろうか
一番高そうな山を捜すが同じような立派な高さのピークがいくつも有り迷う。
地図帳を見ると宮之浦岳は島の中央にあった、ならばあの奥まったピークだろう。
見慣れるにつれ谷の深さに気がつく、尾根はどれも細く弛みなく下がってきている。
だから谷も一気に稜線まで開いてV字峡谷だ。

右手から大きなタンカーが近づいてきて前を横切ってゆく、外国船のようだ。タンカーが行った
先を見ると口永良部島が見えていた。タンカーが行かないと見逃すところだった。

7:30 例の流藻の大群に会う。オートパイロットを手動に変え舵をせわしく切って間をぬう。
ここで少しして大きなイルカに会う、二頭が船首横に並んで泳いだ。
天気の良いうちに進んでおきたいので屋久島も種子島も寄らないで行く予定です。

▼絶え間なく襲来する流れ藻

8:20 屋久島の尾之間温泉沖1.5nmに来た。絡んだ藻を取る、大物なので10分程かかる。
種子島が霞の中に微かに見える。

10:50 屋久島空港へ降りる飛行機が横を飛ぶ、垂直尾翼が赤色だ。藻が多い、船尾から
流している疑似餌にも絡んで外す仕事が増える。

11:20 屋久島空港過ぎて針路を323°に向ける。予定を変えて宮之浦港で燃料補給を
していくことになった。明日からGWが始まるので給油を受けれない時に備えてである。
風見は正面を指している。
屋久島の滑走路と平行に進んでいる、突然大きなエンジン音が響き飛行機が離陸していく、
さっきの尾翼の赤い飛行機だった。プロペラ飛行機の音は人間になじむ。

12:20 宮之浦港着岸。スタンドでタンクローリー給油を頼み、スーパーで食料と電池式
給油ポンプを買い、船で弁当を食べ、ポリタンにも給油して、14:20出航する。
港は大きなフェリーが数隻入る立派な港で、町も多くの観光客で賑わっていた。

帰る予定のルートは豊後水道から瀬戸内海に入り関門海峡を抜け日本海へ出るのだが
最新海象予報では九州は東風が吹く。そのためこのルートは向かい風になり、よろしくない。
長崎を回って行った方が追い風になり理にかなう。距離も同じようなので長崎ルートに変える。
艇長の計画はよく変わる、それは状況の変化をすばやくつかむからなのだ。
自然相手の活動はこれが出来なくては命取りになると思う。
港口を出ると海象が悪くなっていた、東風が強まり 波は1mは有りそうだ。ジブは半分にして
機帆走。大隅海峡の竹島の東を通り薩摩半島坊ノ岬を目指す。

15:30 雲が全天を埋める、振り返ると宮之浦岳の稜線が薄青い色で白いガスの中に見えた。
ピッチングが大きい、この船はロングキール艇なのでバラストキールの底線が、さほど丸くならずに
船首船底を形作っている。つまり船底は波を両舷に適度に切り分けるのだ。そのため波に
当ってもバーンやドーンと言う音がしない、ザラーン又はザーーという音がして船底から
両脇へ波が分けられる。自艇のレプトン21は波に向かうとドーンと大きな音が響きます。
こんな時にまたスクリュウの藻落としになる、安全索を付け上半身をせり出す、ピッチングの
揺れは容赦なく体を転がす、ここん所も艇長の凄いところである、船酔いになったことがない
そうです。頭が真直ぐでも大揺れすると気持ちが悪くなる自分は、こんな体に憧れます。

17:50 10時方向に竹島を見る。霞と雲の中に濃い灰色で人の横顔が海面から出ているように
見える、すこし妙な感じである。 東10m超 波1.5m超 アビーム

19:00 風はゴーゴーと鳴り、波の大きなものは3mは有りそうだ。カッパとハーネスを付ける。
艇長は普段と同じ調子で動き、セールをトリムして足元の用具を整頓される。
スタボードのアビームで突風を受けると船は右へ切り上がり左舷側にグッーとヒールする。
海はガンネルを沈め甲板を走りコクピット横までやってくる。船が起きると排水穴から滝のように
暗い海へ流れ落ちる。その内、燃料を入れたポリタンの1缶がライフラインの隙間をすり抜けて
外へぶら下がり、他の1缶も船側の甲板に45度にぶら下がってしまった。
切れて落ちる事はなく油も漏れないと思うので、リーフしてヒールの量を減らしたほうが良い
のではないかと思い、パイロットハウスの艇長に進言する。
艇長は状況を見てすぐに手すりに支点を取り傾く甲板を進みポリタンの横へ、ライフライン側の
ロープを外しポリタンを持ち帰る、それを受け取り、2缶とも回収する。
それを床下の大きなロッカーへしまい込む。一仕事終わって、「あー、風がまた強くなったなー」
とポツリと一言。リーフするのだろうと思っていたのに、何もしないで現セールで進行する。
自分にとって今はとても悪い状況で僅かに進む程度にメインを小さくして何とかしのぎたいと
思うのだが、艇長はまったく動じていない。現セールの方が安定しているのだろう。
あー、それにしても雨に当らないのはありがたい。

21:00 船酔いしている、そうでなくても戦力外なので、早々に寝かせていただく。
キャビンへ下がり、歯磨き、トイレをこなし寝る準備。相撲のしこを踏むようにして動く。手は
どちらかが何かをつかむ。横になり毛布をかぶる。ラジオなど聞こうとは思わない。
体が左へ押しやられ、船首を向いた左足で抗する。左手も棚底とクッションの間でクサビ止め
してみる。どれも長続きしない。頭が重い。船酔いしているのだが、ご飯は食べれるし、
もどす気配もない。少しは船酔いに強くなったのだろうか。あーヨット人の道は遠い。
艇長は静かに激闘の夜走りに入っていく。

~オプメモ~
レプトンさんから頂いた位置情報・状況等を掲示板に掲載しておりました。その当時の情報を挿入させて頂きます。


5月2日 AM 9:40

レプトンさんより「屋久島に寄らないで九州に向かっています。種子島海峡を抜けます。尾之間が左後ろになりました。風10M 正面でメイン納め。波1Mしぶき飛ぶ。」

現在位置報告 北緯30°16分283 東経130°38分647

5月2日 12:20宮之浦港着岸
GWに備えて給油、めし。14:20に再び出航!。東風が強く、風に合わせて長崎を通って行くコースに変更。

・・・とのご連絡を頂きました!いよいよ九州ですね~!ご安航を!!

2017 H29 5/3(水)

鹿児島県枕崎市沖→長崎港泊
7:20 起きてコクピットへ出る。艇長の第一声は、「死んだのかと思うとった」でした。
実は6:00トイレへ行って、静かになっているのを確認して、安心して二度寝をしたのです。
何という贅沢な。艇長様に感謝。
でも昨晩は大荒れで本当に死んでおりました。返す言葉はありません。
艇長は朝食が終わって、パイロットハウスで休んでいる。
自分も朝食を作る、餅にバターを塗りレンジでチン。早くて美味しい。牛乳とチーズと佃煮。
船酔いの後遺症が有るが悪いことはない。美味しく食べれています。
左舷に甑島(こしきじま)右舷には、いちき串木野市辺りが灰青色になって見えている。

10:30 1時方角に天草下島が見えてきた。2時方位は阿久根市あたりだろうか。
昼食はマーボ茄子の豚肉入り、パックご飯、おいしい。

船酔い後遺症で寝て起きたら3:30でした。昨晩の大揺れの後遺症が治らない。
一度陸に上がってリセットしないとダメのようだ。
1時方向の島々は長崎半島だろうか、右舷真横に島影はない、そこから6時方向には再び
陸が連なっている。陸が始まる3時に大きな高い煙突と左横にこれも大きな白い建物が目をひく。
火力発電所だろうか、帰ってから調べてみよう。

17:10 また起きる、10時に長崎の軍艦島、実物を初めて見ます。写真と同じです。
ここで石炭を掘っていた当時を想像しながら眺めます。風が弱いメインをしまう。

▼長崎「軍艦島」

17:50 長崎半島2時方位に巨大な分譲住宅開発団地が見えてきた。山のほとんどが
クモの巣みたいに道路が巡り四角く家が中を埋めている。人間のやるこことに恐れ入る。
左舷に見える高島には6~7階建てのアパートが沢山建ち並んでいる。島の開発具合から
みて不釣合いなアパートの数に見える。船で本土へ通勤してるのだろうか。
波0.5m うねりなし。NBCラジオが良く聞こえる、長崎造船所で12万超トンの客船が18時に
出航すると報じている。今まさにこの地の事だ。先に見えているオレンジ色の門形クレーンが
三菱長崎造船所なのだ。めったに見れない物が見られそうで幸運だ。
最初の橋をくぐり、次の橋を目指す。造船所の横が通り道なのでその客船が引かれて船尾から
出てきている。
でかい、太っている、高い、これが印象だ。船名はAIDA,船首に唇が書かれ、後ろに目があり
目じりが船尾へ波打って続いて行く絵が描かれている。ヘリが1機飛んで行ったが、周りは
いたって静かだ。お祝いでにぎやか等が無い。

▼ヤードから引出されたばかりの「AID」12万トン

これを横目で見ながら着岸先へ向かう。混み合った港の奥に入ってきた。艇長の目が
港内をなぞる。にぎやかに明るい一角の横のポンツーンを指示する。
間隔が近づいたところでロープを持って飛び降り船首舫う。19:05に着岸でした。
おじさんが一人手伝ってくれる。北海道からここへヨットで来て、ここが気に入り逗留中とのこと。
道へ出る出入り口の電気錠も開けていただき助かる。
すぐに買出しに出る、着岸場所の前はNAGASAKI DEJIMA WHARFなる観光地食事処で
大変にぎやかでした。近くのyoumeの地下の食品階で買出し、自分はお粥パックを買う。
消毒のアルコール類も忘れず仕入れる。
風呂に入りたかったのだが、時間が足りなくてポンツーンでシャワーすることになる。
大きなモーターボートの後ろで裸になる、が寒かったので頭だけ洗い、体は拭く。
だが艇長は完璧裸のシャワーでした。
久しぶりにさっぱりする。夜は毛布1枚は少し寒かった。

~オプメモ~
レプトンさんから頂いた位置情報・状況等を掲示板に掲載しておりました。その当時の情報を挿入させて頂きます。


5月3日 AM 10:10

スピンが売れて良かですたい(※角マ丸さんのスピンセイルをオプが販売したので)
今地N31°59、605 E130°03、462 GPS針路348° 5、7ノット 九州におりますたい

昨日は荒れました。風24M超 波2~3M それでもジブ1/2 メイン1ポ でした。今は東3M 波0、5 クローズリーチ揺れ少別世界です。

5月3日19時05長崎港 DEJIMA WHARF前の浮桟橋に着岸
今も賑やか。幸運に12万tの新造客船出航中の脇を通りました。明日6時前出航します。

 

2017 H29 5/4(木)

晴れ 長崎港→平戸瀬戸→北九州若松半島沖(日本海の玄界灘)
5:45 出航。陸側の橋をくぐってから北の港口へ向かう。6:30北側の港口を出る、波は静か。
五時方位からの太陽光がまぶしい、北の空にレンズ雲が三つ有る。

7:00 朝食はたまご粥を2袋、梅干、チーズ、トマト、漬物が美味い。船酔いは治った。
ふと左を見ると、昨日出航したAIDA号が軍艦島の右にいる。すぐに向きが変わり西に向いて
走り始める。艇長は、試験航海をやっているのではないか、納品先のスペインへ行く前に
ここで十分テストをしてからだろう。そうか、だから昨日はお祝い事が無かったのか、納得。
スタボードタックのアビーム、機帆走6.1kt。三菱長崎造船所のオレンジ色のクレーンは
遠くからでもよく見えていい目印になる。

9:10  左舷に薄っすらと、しかし大きく五島列島が見えてきた。

10:10 2時方位奥の方に佐世保造船所の白いクレーンらしきもの見る、前方には平戸島が
見える、周りに島がいくつも見える海域にきた。晴れて風も心地よい。小島の南を東進していくと
ヨットに会う、そのまま南下していった。

▼平戸瀬戸でセールボートとすれ違う

12:40 平戸瀬戸に入った。穏やかだった海が更に静かになる、左側の平戸島と右の
北松浦半島が近づき、緑の木々が茂りが緊張をやわらげてくれる。
左側の平戸島は景色に変化が有り見飽きない。船の往来も少ない。
ポートタック、クローズリーチ、6kt。 昼食は餃子、パックご飯、キャベツとトマトのサラダ、
たくあん、キムチ、サバ缶、金麦とオリオンビールもうまい。風も心地よい、快適だ。

13:50 遠くに見えていた平戸大橋の全体が見えてきた。瀬戸の幅が狭まっているのが分かる。

14:25 平戸大橋の下を通る。橋を通る車の多いこと、つながって走っている。良いことだ。
海峡に入ると右手の岬に12ー3階建ての大きなホテルのようなものが目に付く。
左手には平戸城が見える。(艇長が教えてくれた)生い茂る木々から浮き出るように建つ城は
とても目立つ。海峡を望むこんな場所にあればさぞかし、昔はにらみが効いたことだろう。
海峡の出口の先は日本海の海流がぶつかって、てんでバラバラな不規則な波が立ち上がっている。
波の高さは20センチくらいで小さいのだが不気味だ。
前方の灯台の付いた小島の右を走り日本海へ出る。

▼平戸大橋

14:50 海は自然な波に戻った。うっかりしていた、いつからそうだったか
海の色を気にしていなかった。日本海に入って突然気になって観て見た。
見慣れた深い緑色だ、なんだか落ち着く、気にならない、もうあの太平洋の色ではなかった。
9時方位に的山大島が、11時は馬渡島だろう、正面に東松浦半島が右から伸びてきている。
メインのみ、クローズホールド5.8kt、艇長はスマホに精を出しておられる、F・Bのアップかな?。

16:00 馬渡島に向かっている、ジブを出し安定、11時に島影が有る、色が薄い、遠い、壱岐だ。
いつから見えていたのだろうか。その左に二神島がラクダのこぶのように見えている。
右舷側の海は陸まで奥が深そうだ、伊万里市へ入っていくのだろうか。
すこし進むと玄海原発のビル群が、原子炉のドーム屋根も分かります、1時の方位です。

▼壹岐~唐津に向かう連絡船

 

17:10 馬渡島を越したら壱岐の左横に対馬が低く小さく見えた。
転舵して加唐島の北に向かう、右手は九州。玄海原発から先をなぞると波戸岬の灯台が見えている。
風見は正面 6.4kt、メインのみ。波が次第に高まる、波長が短い。

19:50 イカ漁の漁場の端を通る。N33°45.760’ E130°01.308’ 水深42m
まぶしい光玉が3個、海面が反射で光る。ボボボーとエンジンが轟く。各船はすこし距離を離して
操業している、近くで22隻、外には更に25隻ほどの灯りが数えられる。
玄界灘のイカ釣り漁は耳にしたことがある、これなんですね。漁師さん、おいしいイカをありがとう
ございます。
ここでエンジンが故障。エンジン停止。艇長がキャビンに下り、前室の後ろで××フィルターが
詰まったーー。と大きな声を上げる。床板を外し中を覗き込んでいるのが見える。
こんな所でこんな悪い波の時に・・、いやな予感。
念のためコクピットで見張りをして、修理は艇長にやっていただくしか道はない。
どんちゃか揺れる中で不自然な体勢でよくもまー、気持ちが悪くならないものである。
修理完了20:20、燃料を飲んでしまったー、と言いながら涼しい顔で上がってこられた。
エンジンがおかしくなった原因は、この大揺れで燃料タンク内のゴミが動いて燃料パイプを
詰めたためだった。修理方は燃料ホースを外し、そこからタンクに向かって押し返すことでゴミを
取り除くという実に簡単な理屈のやり方で治してしまった。

20:50 左舷横に見える明かりが少呂島や、と教えられる。右手は博多湾、奥の空がぼんやり
明るい、大福岡市の灯りだろう。玄界灘の海はますます荒れ、大隅海峡の時より悪い。
完全に船酔いが完成した。前後不覚、艇長から「寝られ」と言われ、ありがたく寝かせていただく。
ハーネスを置き前室へたどり着きマットに上がる。横になるが体が浮き上がり定まらない、
ピッチングが大きい。投げ出した足は最悪、宙に浮き上がりドタッと落ちる。これが際限なく続く。
100%おかしくなる前に船の重心に近いキャビンへ移る。
長さの短い方のイスに寝て足を仕切り板に突っ張り、右手はテーブルの上に
置いて突っかい棒にする。何とか許容範囲に入ったようだ。覚えているのはここまで。
艇長は動じることなく静かに夜走りに入っている。

~オプメモ~
レプトンさんから頂いた位置情報・状況等を掲示板に掲載しておりました。その当時の情報を挿入させて頂きます。

5月4日 AM 9:00

平戸瀬戸へ向かいます。風見正面 波がうねり少々。寒い。

PM 13:25 N33°15、765 E129°32、381

5月4日 PM 15:45
N33°27、631 E129°39、985

日本海に入っています。荒れないといいのですが。

※昼過ぎに九州で地震があり、津波ナシの速報がありましたので、電話でお伝えしてみましたが、レプトンさん!凄く気力充実のお声でした(笑)

5月4日 PM 21:15分
9時15分 N33°50、671 E130°05、856
ピッチング中、静かにならないかなー。

2017 H29 5/5(金)

北九州若松半島沖(玄界灘)→萩漁港(山口県)で給油、昼食→温泉津港沖(島根県) 
目が覚めると天窓が明るい、海が大荒れで揺れの少ないキャビンのイスに寝たはずなのだが、
なぜ前室にいるのだろうか。気分は昨夜よりもましだ。6:40になっている。挨拶に上がる。
右舷には緑の山並みが海岸から立ち上がり先々まで続いている。海面の上は岩壁になって
中ほどから上が樹林、新緑の緑がすがしい。
左舷に小さく島が見えている、見島と教えてもらう。N34°28.204’ E131°03.816’
波0.6m 5.7kt 長門市がすぐ先だ。

朝食はレトルトお粥と梅干。防寒ジャンパー、毛糸冬帽子、ハーネスを付けコクピットに出る。
自分はただヨットに乗っているだけ、航海は全て艇長さんにやっていただいております。
艇長さんありがとうございます。ヨットマンと言う言葉が有りますが、良く分かりません。
自分が艇長を表す言葉はヨット人です。ヨットと一体になっている気がします。

長々と同じような事を書いているようだ、反省しきりである。でもこれしかならない。
先を急いでいい加減終わらせたいのだ。スピードを上げていかないと、あと少しなので
何とかしたい。

10:10 テーブル状の島が出てくる、七島見える。その間を抜け港に近づく。後方からも
大きな船がこちらに来ている。
テーブル状に見えていた島はどれもほんの少し本土側に傾斜している、その平らな所は
畑になり家が建っている。中でも大きな島の一つにはギッシリと畑と家が有り立派な町に
なっている。

11:55 萩漁港のヤンマー営業所の前に着岸した。船酔いのリセットを期待する。
スマホで給油の注文をしてからコンビニで弁当を買い昼食、ヤンマーの影で昼寝。
日差しが暑い、思えば沖縄から雨に遇っていない、ぱらっと降った程度でいい日が続いている。
艇長のスマホ情報では、九州の宮崎では東風の荒天でヨットは皆足止めになっていたそうです。
長崎に進路を変えた艇長の判断は大変良かったのでした。

14:30 燃料を入れて出航する。港外に大きな客船が停船している。
フランスの国旗を揚げている、数万トンは有る。
後方から来ていた船がこの船だったのだ。萩港には着岸できないのだが、寄港の用件が
気になった。
ふり返ると萩の町は右奥に有るようだ、大きなビルも沢山有る。背後は2-300mの山々に
囲まれ静かな落ち着いた土地だ。江戸時代末期にこの地、長州藩から沢山の偉人が出た
のだ。と艇長さんから聞かされる。艇長さん、学もあるんですね。

▼萩を出港したあと天気予報では夜明けから雨になるらしい、須佐港で一夜をと迷ったが走れるうちに先をとの思いで継走、しかし西の空で「雷神様」現れ睨まれているようだ。

16:00 右舷のきれいな景色は今も続いている。新緑の緑が気持ちいい、岩の色も様々、
大岩壁、針峰、ルンゼ、小谷、船に座って自動で風景が変わっていく、飽きることがない。
地図を調べると「北長門国立公園」と記してある。萩港沖の繁盛した島は「大島」だった。

天気予報では雨が近づいているらしい、雨に捕まる前に島根半島を越えようということになり
須佐港に寄らず、船を先に進める。

18:00 高山岬を過ぎる、朝から続いていた美しい風景の山並みがこの岬で突然終わった。
海岸が奥へ引き、山は消え町並みが見え始めた。ここまで有った風景、北長門国定公園、
真に大したものです、楽しませていただきました。
晩ご飯は買ってきた弁当なので、楽して済んだ、艇長はアルコール消毒をしながらゆっくり
時間をかけてやられます。波0.2m 風見正面、6.3kt,このまま静かな海が続いて欲しい
ものです。

22:00 海上保安庁巡視船らしき船が右舷後方から来て真横やや下で同走する。20分程
して先へ行った。赤色左舷灯が船首に有るので普通の船とは違う。電灯の点きかたも
何か変な印象、赤外線スコープで調べて行ったんじゃないか。などと冗談交じりで話した。
暗い海に青白い光の塊が辺りに光り、灯篭流しの中にいるようだ。夜光虫が波で擦れて
光るのだろうか、幻想的でした。23:30寝た。

▼夜になると夜光虫の光で照らされる

~オプメモ~
レプトンさんから頂いた位置情報・状況等を掲示板に掲載しておりました。その当時の情報を挿入させて頂きます。

11時55分 萩漁港に着岸した。

弁当仕入れと給油。レプトンは陸の船影で昼寝、揺れないのがありがたい。間もなく出航かな?。

5月5日 19時05
N34°44、443 E131°43、346

雨に 会うのを減らし、早く着けるよう、このまま島根半島を越す予定です。今、海は平

2017 H29 5/6(土)

温泉津港沖(島根県)→境港泊
6:30 起床。周期の長いローリング、夜走り艇長は朝食が終わって、パイロットハウスで
一休み中。自分も朝食を急いで用意、例のレトルト梅粥、パックご飯の残り、ソーセージ
たくあん、麦茶。美味しく食べれる、仕上げは新グロモントドリンク。この位のゆれなら
船酔いに耐えれるようだ。雨は止んでいる。
N35°33.473’ E132°56.479’ 西4m 波1.3m 6.3kt
明るい部分も有るが全天雲、雨雲は海まで下がり右手の島根半島がこま切れに見えている。

8:25 右横に島根原子力発電所が見える。高い煙突が2本、薄い水色に塗られた大きな
壁も有る、右には村が山の斜面に沿って有り、右に続く岩はゆるい角度で海に向かい、
最後は三つの島になり海に入ってゆく。

10:20 島根半島沖1nmを進んでいる。雨雲が海まで下がって霞のようにけぶっている。
スクリュウに絡んだ藻を外す。クローズホールド、メインセールで機走、5.6kt .
突き出した島に白い灯台が立っている、定置網の浮きも有る。山の稜線にはレーダードーム
やアンテナが立っている。
ここが七類港の入り口であることを聞く。中に入るとびっくりするほど立派な港だと聞かされる。
が見た所、島は有っても港が有ると思えない、どこにそんな港が有るのか不思議だった。
わからないまま進んでいってから振り向くと、白いドームのようなものが奥に見えた、
けっこうでかい。一緒に鋭い針のように尖ったものも有る。周りが美しい自然でその差に少し
異様な感じがした。特に尖った険は恐ろしく感じた。人間ならではのものだ。
そこに七類港があるのだろうだろうと思いながら過ぎる。

▼島根半島地蔵崎

妖怪岩を発見
水木先生もこの岩をヒントに妖怪を描かれた。ねずみ男、子泣き爺、砂かけ婆、等など、キャラクターが並んでいる。

11:35 島根半島が終わる地蔵埼を回り込むと陸が遠のき、美保湾は靄がかかりいっそう
深く見えた。霞か雲か、少し左にしばらく忘れていた高い山の影がある。
これが山というものだ、自身に念を押す。すぐに艇長から、「大山の山や」と教えられる。
山陰の雄「大山」有名な山です、初めてお目にかかりました。
美保湾に入ると一気に境港が見えてきた。メインセールを下ろす。
すぐ近くなった右手の道路に沿って港をまたぐ橋を目指して進む、赤色浮標№2と№4を過ぎる。
水路状の港に近づくと、何とした事か昨日、萩港外にいたフランスの客船が接岸していました。
夜中に追い越して行ったのです、早いものです。

着岸場所を探しながら水路を行く、見物する景色が両岸に有って首を振るのに忙しい。
フェリー乗り場を過ぎた公園の先に廃船が有った、12:50それに横抱きして舫う。
水路を行きかう船の引き波で揺れるが外海に比べれば天国だ。

すぐに風呂と昼食に出る。とてもいい天気、少し歩くと境港駅だ、大きなビルがあり、鬼太郎ロード
も近く、おまけにGWなので大賑わいだ、そんなところで食堂に入りマグロ丼と しめサバ、
ビールが旨い。
風呂はフェリー乗り場のビルの4階に、いいのがある。どれも勝手の分かっている艇長のお勧め指南。
エレベーターで上がった風呂は壁がネオパリエ大理石で円筒の浴場は清潔そうで気持ちがいい。
のぞき窓のように切られたサッシからはフェリーの様子が丸見え、対岸も水路も見える。
ちょうどフェリー「しろしま丸」が出航する始終が見れた。いい風呂です。天国です。
風呂が終わると、艇長から鬼太郎観光を薦められる。艇長は船に帰り睡眠不足を充足する。
レンタル自転車で鬼太郎ロードを眺め鬼太郎資料館に入る。ガードマンが整理にでていて
とても賑わっていた。16:30に船に帰ると艇長の友人が来訪、あれやこれやの情報交換。
終わったところでコインランドリーまで乗せてもらう。その帰りにスーパーで買い物をして船で
晩めしにする。弁当、トビウオとぶりの刺身、イワシの煮付け、ビールにワイン。
ゆっくりじっくり食べる。

5月6日 PM 12:50
境港の水路岸壁に着岸。昼食まぐろ丼、風呂、鬼太郎ロード観光、この後食料を買って朝出港します。

2017 H29 5/7(日)

境港→丹後半島の遥か沖(境港~猿山岬間の40%)
8:15 出航、晴れ。境港から一気に能登半島の猿山岬を目指す最短の航路を取る。
艇長はこれを熟知していて、船は少なく島もなく魚も少なく、何も無い。沿岸を行くより良い。
これで決まりです。
天気情報は、能登沖風警報が出て波は3m~2.5mとなっている。先が思いやられるが
艇長さんにとっては序の口なのです。
水路岩壁に「絆洋丸北九州」のセメント運搬船が、ガントリークレーンの前にもコンテナ船が
いる、沖待ち船も4隻いた。

8:50 ポートタックのクォータリー、波1m、うねり大。晴れて空は青いが周りはどこを見ても
薄い水蒸気でかすみ、大山もスカイラインだけが高く浮かんでいる。

10:05 コクピットの天井に縛ったラジオが全国の黄砂のニュースを報じている。
前から霞んでいるのが多かったのは黄砂の仕業だったのだ。この現実に興ざめする。
が、これも現代風情かなと思ってみる。

12:30 カレーライスと野菜サラダの昼食、アルコール消毒もやる。昼食後イルカが近くに
来た。でかいやつだ、左舷に二頭並んで一緒に走った。

15:00 7時方位からうねりが来て、右舷で膨れて山になり離れてゆく。船もこれに合わせて
ローリングする。小さな白波も出たり消えたり、こんな沖に海鳥が飛んでいる、数十羽いる。
ミズナギドリのようだ、垂直旋回して翼端が海面を撫でるように飛ぶ。波に突っ込まないで
上手いものだ。ところで魚をくわえたのを見た事がない、飛んでばかりでは腹が減る。
それと、こんな沖で時化た時はどうやっているんだろう、カモメは堤防の影に避難している
ようだが、誰か教えてください。

日が暮れて寄ってくる波の高さが大きくなってきた、大きいやつに乗せられると右舷から
ザーーッと音を出してヒール計は30度を超した辺りでしばし止まる。
陸から随分と離れた、ローリングだけの海が暮れていった。

2017 H29 5/8(月)

丹後半島の遥か沖(境港~猿山岬間の40%)→輪島港泊
7:30 ジブを半分出す、続いてステースルも半分だす。ローリングが小さくなったようだ。
昨日からの追い波の高さがしだいに低くなってきたように見える、夜中は大変だった。
床の食料ダンボール箱が床を滑り左右の壁にぶち当たる、ペットボトル水8本入りは
ズシンと音をたてる。無防備だった食器かごは大きな音をたてて床に散らばったようだ。
前室で寝ていたが、手の施しがない事。と都合のいいように考え、そのまま寝てしまった。
今、食器群は全てシンク水槽に詰め込まれている。
艇長様、後始末対応しなくてすみませんでした。
昨日、ロングキール艇は追い波にも強い話を聞かせてもらった。艇長は回航仕事で
いろんな艇種に乗ってきているので真実味ある。この船がフィンキール艇だったら
この程度では済まなかった事だろうと想像して、このロングキール艇に感謝した。
感謝と言えば、この時間はGWも終わり巷では仕事が始まっている事だろう、この場に
居られることにも感謝する。
見れば、朝日の中に今日も元気に鳥が飛んでいる、強い鳥達だ。

16:00 陸の見えない海だけをの中を随分進んできた、陸が待ち遠しい。そんな時
正面に大きな白い船が右手方向へ行く。北海道へ行ってるフェリーだと艇長が言う。
思わず携帯電話を出して通信可能域に入ったのかをみる、が相変わらず圏外のまま。

16:50 1時方向に陸影を見る。富来 志賀町方面だろうか山のスカイラインだけが
薄ーく見えて来た、陸を見たら口元がほころんだ。

17:30 能登半島の上は青空でその下は雲が層になって埋め白い。その層の
上に雲と同じ白い色の月が有る。ほとんど満月に近い丸さだ。今夜は月明かりの
航海になりそうだ。見えている陸の影が近づき大きくなってきた。

18:50 遂に猿山岬灯台を右舷正横にかわした。海面から上4分が岩、そこから上は
木々に覆われ、灯台は7分目辺りに白くポツンと海を向いている。
この能登半島に取り付いたことで長かった航海も最終章に入った感がする。

岬を回り少ししたら風が正面から来る。ジブとメインセールを仕舞う。月は黄砂のせいで
超ぼんやりと黄色い、空と海は月明かりで見えその中間の陸は黒いシルエットになって
帯のように続く。海岸と思しき所に飛び飛びに灯りが有る、漁村だ。黒い中を車のライトが
動くのも良く分かる。

21:00 輪島港に着岸。明日、九十九湾に着いてから帰りの事など総合的に考えて
今晩は輪島に入る事になった。大きな漁港の東の端のプレジャーボートポンツーンに
舫った。先客のヨットが2艇いた。内側にニュージーランドの艇、外側に東京の艇。
共に40ft位の大きな艇だった。ニュージーランド艇は若いカップルで外側に着岸するとき
飛び出してきてロープを引いてくれた。

晩めしを食べに町へ出る、朝市通りに出てすぐに食堂が見つかり天津麺とキムチラーメンを
注文、ビールで消毒。美味しかったです。
石張りのきれいな朝市通りを歩いて帰り、マリンタウンで歯磨きトイレ、心静かに寝た。
輪島は大きな町だ。猿山岬を過ぎて暗くなると、輪島市辺りの上空が赤い。沖から見ても
明るく光る町はここだけで、先にも後ろにも黒い陸が続いていた。

▼黄昏の猿山岬、境港からダイレクト

~オプメモ~
レプトンさんから頂いた位置情報・状況等を掲示板に掲載しておりました。その当時の情報を挿入させて頂きます。

5月7日 AM 8:15分出航しました。
針路は能登半島の猿山岬になりました。
南西6m クォータリー 波1m ボッサ修理行けなくて残念、また見せて下さい。

5月8日
通信出来るようになりました。
PM 16時位置 N37°10、572 E136°22、970 相変わらずローリングが続いている。

PM 21:00 
輪島港に着岸しました。明日、九十九湾へ向かいます。

2017 H29 5/9(火)

輪島港→母港の九十九湾へ帰港。
5:00 起床 すぐに出る。この停泊地は漁船の引き波で揺れて評判が悪いらしい、なぜか今回は
静かだった。輪島を出ると山がまた始まる、稜線に自衛隊のレーダードームが見える。島根半島
にも有った、この地から日本海の上空を監視しているのだ。ちょうど北朝鮮が盛んにロケットを
日本海に向けて打っているので両基地とも緊迫している事だろう。
左舷には七ツ島が見える、小島が6つ読める。かねてからこの島巡りをしたいと思っていたので
見え具合が分かって良かった。

6:20 風が強まる、南東5m 波0.6m メインセールのみ。太陽は黄砂でぼやけて弱々しい。
朝食の雑炊を炊いている時に、リールが鳴った、2台とも釣れている。上げたら「ふくらぎ」だった。
50cm位で立派なやつ。さっそく艇長が頭を落とし腹も出す、自分がラップして冷蔵庫へ入れる。
「ふくらぎ」は富山県の呼び名で、他県では「つばす」と呼ぶそうです。

7:40 煙る緑の山の稜線に9基の風力発電機が回っている、その左下に谷をまたぐ大きな
コンクリートの橋。人間は上手にいろんな物を作っていくものだ、すごい動物だ。
波風更に強まる。

9:30 禄剛崎灯台に来た。右から続いていた山は低く平らになり海で終わるその手前に
白い灯台が建っている。背後は飯田湾へ続く山があり又高みを増している。
回り込んで九十九湾へ向かうと灯台の下に赤灯台と右へ続く防波堤が有る、狼煙漁港だ。
大きな港。、窓の無い高い建物は製氷棟だろう。
ランプの宿もすぐ先に有る。正面少し左には姫島岩礁帯の灯台がヨットのマストのように見える。

▼禄剛崎

10:30 長手崎灯台を通過、海に突き出してスーッと立った白い灯台。
波0.6m アビーム 6kt。
飯田湾の南端を目指す、湾内の蛸島、珠洲市、軍艦島が小さく見えている。
南端に近づくとひとりでに小木港の赤灯台の有る防波堤が見えてくる、帰る九十九湾口の
左横手になる。
遂に遥々沖縄からここへ帰ってきました。最後は少々あっけなく終わりそうです。

▼ホームポート九十九湾蓬莱島

12:25 firstwave号は静かな九十九湾のお決まりの場所にお決まりの舫いロープで
つなぎ終りました。
静かな空気、木々は入り組んだ海面まで茂り、しっとりした海。九十九湾です。
後始末をして、迎えに来ていただいた車に乗せて頂き津幡駅まで送っていただいた。
17:51発の列車に乗り家に帰る。帰宅時間帯なもので学生さんが多く、スマホとおしゃべりで
相変わらず平和な日本を感じました。

5月9日 PM12:25
九十九湾に着きました。おとなしい風波でした。